最近の気になるトピックスを紹介したり、私の弁当作り、断酒生活を綴ります。
母のこと⑤ 幼い頃、私は母に捨てられたと感じたことがあったのだった。 それは、それまで母と2人で入っていたお風呂に1人で入ることを強いられたときのことなのだった。 ひょっとして、この子はちょっと知恵遅れなのではないかと心配するほどに成長の遅かった私は、いつも母につきまとう子どもで、母もそんな私を不憫に思い、人一倍愛情をかけてくれていたのだった。 ...
2012.04.24 12番ホーム 母のこと、父のこと
母のこと⑥ 私はことのほか、母の作るカレーが好きなのだった。 その当時のカレーのルーといえばハウスバーモントカレーがほとんどなのだった。 カレーに入れる蛋白源は、今では信じられないことだが、当時は山村で最も安価に手に入る鯨の冷凍肉なのだった。それも手に入らないときは、ソーセージが入っているだけなのだった。 それも、品の悪いものだったから、カレーの中で煮込むと、膨張してプカプカ、カレーの表面に浮き上が...
2012.04.25 12番ホーム 母のこと、父のこと
母のこと⑦ 母は散らし寿司もよく作ったのだった。 それがまたうまかったのだった。 特に私の好きだったのは、田舎では「菜めし」と呼んでいた散らし寿司なのだった。 芝えびの殻をむいてその殻でだしをとり、えびを甘辛く煮るのだった。 大根葉を鮮やかな緑色に茹で上げて細かく刻むのだった。 炊き上げたばかりのごはんを釜から寿司桶に移し、寿司酢をかけながら切るように混ぜて、酢飯...
2012.04.26 12番ホーム 母のこと、父のこと
母のこと⑧ 母は漬物も得意なのだった。 今から遡ること30年近く前、理由があって父母は田舎を捨て、姉の住む西条市に移り住んだのだった。 10数年、その地で父が死に、母は父が借りて耕していた近くの農園を引き続いて借り受け、その農園で栽培した野菜を、リヤカーに積んで近くの団地の奥さん方に売り歩くようになったのだった。 母は、いつしか野菜だけではなくて、漬物も売り歩...
2012.04.28 12番ホーム 母のこと、父のこと
母のこと⑨ 田舎の暮らしは貧しかったのだった。 父はアルコール依存症に陥り、母は日々の野良仕事と金策に疲れ果て、夜になると居酒屋から酔眼で帰ってくる父と、毎日のように口論を繰り返すのだった。 私はそれが嫌で嫌でたまらないのだった。 だから、私は集団就職で松山に出てからは、母を恋しく思うことはあっても、盆と正月以外には田舎に帰ろうとはしないのだった。...
2012.05.01 12番ホーム 母のこと、父のこと