エッセイ「地球の青さに息を飲む」(その③)
エッセイ「地球の青さに息を飲む」(その③)
事務所に帰った後、疲れた足を引きずりながら、俺は「立ち呑み」に立ち宿った。
店に入ると、開口一番、「お母さん」が「うちの店、今日が開店20周年やねん」そう俺に言った。
見ると、壁に貼られた手書きの「今日のメニュー」のその横に、これまた「お母さん」の手書き文字でこう書かれていた。
フリーイラスト(→掲載ページ)
「お陰様でこの『立ち呑み』も今日で20周年を迎えることができました。これもひとえに当店を支え、守り、愛して下さった皆々様の賜物と感謝の気持ちで一杯です。
次の30周年に向けて、更に楽しいお店として頑張る所存ですので、よろしくお願いします。
7月13日 店員一同」
「お母さん、おめでとう」と言った後、俺が「店員一同と書いてあるけど、店員言うたらお母さん以外に誰かいてんの?」と茶化すと「あのなあ、カッパちゃん。こういうときは店員がそんなにおらんでも店員一同って書くもんやねん」と笑って俺を嗜めた。
ビールを注文し、さあ、今日は何を食べようかとカウンターに並べられている大鉢を見ると、真中あたりになんと小芋田楽があるやないか!
思わず「小芋田楽やんか!」と俺が驚きを声にすると、「お母さん」が「20周年やから、机を整理してたら、カッパちゃんにもらった小芋の田楽のレシピが出てきてん。
そんで季節はずれやからあんまりいい小芋もないし値段も高かったんやけど、どうしても作ってみとうなってん。カッパちゃんのお母さんの味と較べてみてよ」そう言った。
作ってそんなに時間は経っていないんやろ、まだほのかに温もりが残った小芋田楽は、ごまの利いた味噌味の中にほくほくとろけて旨かった。
「お母さん、これ、うまいわ。おふくろが作ってくれたんと一緒の味や」
俺はその味に何か胸が詰(つ)まったんやが、その様子を悟られないようビールをぐっと飲み込むと、隣にいた山田さんと横田さんが「夏場に田楽とは季節はずれやけど、確かにこれはうまいなあ」と2人して相槌を打ってきた。
このお二人も俺同様「立ち呑み」の常連なんや。
お二人はひきこもりの子らを社会復帰させるためのNPO法人の役員で、近くの富田ダイエーの前にリサイクルショップを開いている。
60歳代半ば、チビとのっぽのでこぼこコンビや。
役員というてもどっかの大きな会社の役員というのや。ネクタイは締めてへんし、背広も着てへん。山田さんはもう何10年履いているかわからんような、色の褪せて擦り切れたジーパンにTシャツ。
横田さんも似たようなもので、よれよれズボンに古ぼけた色シャツ姿である。
俺は「立ち呑み」には1人で入るんやが、山田さんと横田さんはいつも番(つがい)や。
お二人の話を聞くとはなしに聞いていると、全学連とか全共闘とか社会主義がどうしたこうしたという話がよう出てきた。
学生運動が昂じて社会運動に身を投じたそのなれの果てというと言い過ぎやけど、2人にはそんな雰囲気があった。
ちょうど学生運動も下火になった頃大学に入学し、何か遅れてきた者の焦燥感を味わった俺にとって、学生運動の渦中で青春の身を焦がしてきたお二人の話には憧憬のようなものが感じられて、俺はその思い出話を横から聞くんが好きやった。
このときも小芋田楽をほおばりながら2人の会話を聞いてると、山田さんが横田さんにこう言った。
「わしらも資本主義がどうしたこうした言うて、この世を変えるんやと本気で考え、世間に反逆して好き放題やってきた。
若い頃は、わしらはまともには生きられへん、いや生きてたまるかなんて思てたけど、振り返り考えてみると、結構、ちゃんと生きてきたんかもしれん。
あんたも嫁さんをもろて、2人の子どもができて、そりゃあ、上の子がいかず後家になりかけてるようやけど、そんでもまともに家庭を築いて、そんでちゃんと親戚付き合いもしてる。
これだけやりたい放題の結果がこれやから、オレたちの人生も捨てたもんやなかったなあ」
すると横田さんが怒ったようにこう言い返した。
「アホか、おまえは! そんなんやからおまえはお人好し言うんや。そういうおまえはどうや。嫁さんと子どもを捨てて、好いて一緒になった圭ちゃんと、一体、今、どうなってんねん。ちゃんと自分のことを考えてみい!」
こう書くと、かなりきつく聞こえるかもしれへんが、実際はそうやない。
これは口の悪い横田さんのいつもの口癖みたいなもんで、いつもこういう言い方をするんやが、言葉の端々に山田さんへの配慮が垣い間見える。
根は優しい人なんや。
「いや、いや、ちゃうねん。オレのことはどうでもいいけど、こうして飲んでると、こんな人生でもなんとはなしにいいもんや思たもんやからな」
山田さんがそう小さな声で答え返した。
そんな2人の会話を聞きながらテレビを見ると、ちょうどスペースシャトルディスカバリーで宇宙に飛んだ野口さんが、船外活動をしている画像がテレビ画面に流れてきた。
続いて地上のアナウンサーと野口さんの英語の会話が聞こえてきて、画面の下の方に、その野口さんの言葉がこう翻訳されて流された。
「眼下に見える地球の青い姿は、息を飲むほどに美しかった」
この画像は録画やったから、野口さんがスペースシャトルの外から地球を見たんは、この何時間か前だったやろうが、何かこのテロップを読んで、ああ、まさに今、野口さんは暗い宇宙の中にぽっかり浮かんだこの青い地球を見てるんやな、ホンマにきれいやろなあ、そう思うと、俺の心の中になんとも言えない感動が広がってきた。
そしてその感動に、その夜見た生保村のおじいちゃんの赤ん坊に帰ったような笑顔、昔の仲間の息子が甲子園に出場することになったことを自分のことのように喜んでいた北風君の弾んだ声、この店も20周年を迎えたと喜び勇んだママの笑顔、オレらの人生も捨てたもんやなかったと言った山田さんのちょっと恥ずかしげな横顔、母の小芋田楽によく似た「お母さん」の田楽の味、そんなこんなが一緒くちゃに加わり、ああ、野口さんの見ているこの地球は、自然破壊や核の脅威や言うて大変なことも多いけど、なかなか捨てたもんやない。みんなこんなにして精一杯に生きてるんや。オレも頑張らなあかん。そう思うと急に涙が込み上げてきたんやった。
そんでも、テレビを見ながら1人泣いていたら、それこそみんなに、こいつ、どこか変なんちゃうかと思われるのがオチやから、俺は小芋田楽とビールともどもその涙をぐっと飲み込んだんやった。
まあ、それだけの話やが、この日のこの情景は、小芋田楽に連なって、今でも俺には忘れられない一場面となっているんや。
事務所に帰った後、疲れた足を引きずりながら、俺は「立ち呑み」に立ち宿った。
店に入ると、開口一番、「お母さん」が「うちの店、今日が開店20周年やねん」そう俺に言った。
見ると、壁に貼られた手書きの「今日のメニュー」のその横に、これまた「お母さん」の手書き文字でこう書かれていた。
フリーイラスト(→掲載ページ)
次の30周年に向けて、更に楽しいお店として頑張る所存ですので、よろしくお願いします。
7月13日 店員一同」
「お母さん、おめでとう」と言った後、俺が「店員一同と書いてあるけど、店員言うたらお母さん以外に誰かいてんの?」と茶化すと「あのなあ、カッパちゃん。こういうときは店員がそんなにおらんでも店員一同って書くもんやねん」と笑って俺を嗜めた。
ビールを注文し、さあ、今日は何を食べようかとカウンターに並べられている大鉢を見ると、真中あたりになんと小芋田楽があるやないか!
思わず「小芋田楽やんか!」と俺が驚きを声にすると、「お母さん」が「20周年やから、机を整理してたら、カッパちゃんにもらった小芋の田楽のレシピが出てきてん。
そんで季節はずれやからあんまりいい小芋もないし値段も高かったんやけど、どうしても作ってみとうなってん。カッパちゃんのお母さんの味と較べてみてよ」そう言った。
作ってそんなに時間は経っていないんやろ、まだほのかに温もりが残った小芋田楽は、ごまの利いた味噌味の中にほくほくとろけて旨かった。
「お母さん、これ、うまいわ。おふくろが作ってくれたんと一緒の味や」
俺はその味に何か胸が詰(つ)まったんやが、その様子を悟られないようビールをぐっと飲み込むと、隣にいた山田さんと横田さんが「夏場に田楽とは季節はずれやけど、確かにこれはうまいなあ」と2人して相槌を打ってきた。
このお二人も俺同様「立ち呑み」の常連なんや。
お二人はひきこもりの子らを社会復帰させるためのNPO法人の役員で、近くの富田ダイエーの前にリサイクルショップを開いている。
60歳代半ば、チビとのっぽのでこぼこコンビや。
役員というてもどっかの大きな会社の役員というのや。ネクタイは締めてへんし、背広も着てへん。山田さんはもう何10年履いているかわからんような、色の褪せて擦り切れたジーパンにTシャツ。
横田さんも似たようなもので、よれよれズボンに古ぼけた色シャツ姿である。
俺は「立ち呑み」には1人で入るんやが、山田さんと横田さんはいつも番(つがい)や。
お二人の話を聞くとはなしに聞いていると、全学連とか全共闘とか社会主義がどうしたこうしたという話がよう出てきた。
学生運動が昂じて社会運動に身を投じたそのなれの果てというと言い過ぎやけど、2人にはそんな雰囲気があった。
ちょうど学生運動も下火になった頃大学に入学し、何か遅れてきた者の焦燥感を味わった俺にとって、学生運動の渦中で青春の身を焦がしてきたお二人の話には憧憬のようなものが感じられて、俺はその思い出話を横から聞くんが好きやった。
このときも小芋田楽をほおばりながら2人の会話を聞いてると、山田さんが横田さんにこう言った。
「わしらも資本主義がどうしたこうした言うて、この世を変えるんやと本気で考え、世間に反逆して好き放題やってきた。
若い頃は、わしらはまともには生きられへん、いや生きてたまるかなんて思てたけど、振り返り考えてみると、結構、ちゃんと生きてきたんかもしれん。
あんたも嫁さんをもろて、2人の子どもができて、そりゃあ、上の子がいかず後家になりかけてるようやけど、そんでもまともに家庭を築いて、そんでちゃんと親戚付き合いもしてる。
これだけやりたい放題の結果がこれやから、オレたちの人生も捨てたもんやなかったなあ」
すると横田さんが怒ったようにこう言い返した。
「アホか、おまえは! そんなんやからおまえはお人好し言うんや。そういうおまえはどうや。嫁さんと子どもを捨てて、好いて一緒になった圭ちゃんと、一体、今、どうなってんねん。ちゃんと自分のことを考えてみい!」
こう書くと、かなりきつく聞こえるかもしれへんが、実際はそうやない。
これは口の悪い横田さんのいつもの口癖みたいなもんで、いつもこういう言い方をするんやが、言葉の端々に山田さんへの配慮が垣い間見える。
根は優しい人なんや。
「いや、いや、ちゃうねん。オレのことはどうでもいいけど、こうして飲んでると、こんな人生でもなんとはなしにいいもんや思たもんやからな」
山田さんがそう小さな声で答え返した。
そんな2人の会話を聞きながらテレビを見ると、ちょうどスペースシャトルディスカバリーで宇宙に飛んだ野口さんが、船外活動をしている画像がテレビ画面に流れてきた。
続いて地上のアナウンサーと野口さんの英語の会話が聞こえてきて、画面の下の方に、その野口さんの言葉がこう翻訳されて流された。
「眼下に見える地球の青い姿は、息を飲むほどに美しかった」
この画像は録画やったから、野口さんがスペースシャトルの外から地球を見たんは、この何時間か前だったやろうが、何かこのテロップを読んで、ああ、まさに今、野口さんは暗い宇宙の中にぽっかり浮かんだこの青い地球を見てるんやな、ホンマにきれいやろなあ、そう思うと、俺の心の中になんとも言えない感動が広がってきた。
そしてその感動に、その夜見た生保村のおじいちゃんの赤ん坊に帰ったような笑顔、昔の仲間の息子が甲子園に出場することになったことを自分のことのように喜んでいた北風君の弾んだ声、この店も20周年を迎えたと喜び勇んだママの笑顔、オレらの人生も捨てたもんやなかったと言った山田さんのちょっと恥ずかしげな横顔、母の小芋田楽によく似た「お母さん」の田楽の味、そんなこんなが一緒くちゃに加わり、ああ、野口さんの見ているこの地球は、自然破壊や核の脅威や言うて大変なことも多いけど、なかなか捨てたもんやない。みんなこんなにして精一杯に生きてるんや。オレも頑張らなあかん。そう思うと急に涙が込み上げてきたんやった。
そんでも、テレビを見ながら1人泣いていたら、それこそみんなに、こいつ、どこか変なんちゃうかと思われるのがオチやから、俺は小芋田楽とビールともどもその涙をぐっと飲み込んだんやった。
まあ、それだけの話やが、この日のこの情景は、小芋田楽に連なって、今でも俺には忘れられない一場面となっているんや。
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