エッセイ「あなたの夢はと聞かれたら」(その②)
エッセイ「あなたの夢はと聞かれたら」(その②)
俺とうなぎのこれまでの付き合いを思い出してみる。
俺は愛媛県宇和島市からバスで2時間あまり山奥に入った、あと1キロメートルも歩けば高知県に至るという山間僻地に生まれ、その地で中学を卒業するまで過ごした。
そこには迫りくる山林と段々畑のその窪みに雨を集めて渓流が流れ、地の者が「むつご」「どんこ」「かじか」などと呼んでいた小魚類や鮠、かに、うなぎなどが棲んでいた。
夏になると、俺は遊び友達と一緒にその渓流で、連日、水浴びや魚釣りに興じたんや。
うなぎは「つけ針」と呼ばれる技法で獲った。
その方法はというと、まず、うだるような暑さの昼日中、掬い網を片手に川に入る。
そして、草場の下手に救い網を据えて、上手から草場を揺らし、川草の根っこに憩っていた小魚が網の中に逃げ込んでくるところを掬い取るんや。
あるいは「鮠びん」と俺たちが呼んでいた、上部がへこんで穴が開いている長丸いガラス製の容器の中に、ヌカや味噌を混ぜ回して浅瀬の砂場に据え、その臭いに引かれて容器の中に入った小魚たちをゲットするんや。
次に、あらかじめ1メートル半ぐらいに切ったたこ糸の先に、地の者が「どんこ針」と呼んでいた太目の鉤針を結わえ付ける。
この鉤針を30本近く用意し、昼間に取った小魚を鉤針の先に刺して「つけ針」を作る。
夕方近く暮れなずむ頃、川の下手から上流に向けて、そのつけ針を1本1本、いかにもうなぎがいそうな場所に仕掛けていく。
これは夜行性であるうなぎが、夜中に活動する習性を利用する釣りなんや。
翌日、夜も明けやらぬ早暁、前の晩につけたつけ針を1本1本上げていくことの楽しみ。
つけ針をつけた夜は、まどろんでは起き、まどろんでは起きして、どんなに夜明けの来るのを待ち遠しく思ったことか。
これは、俺が小学校高学年の頃のことやから、もうかれこれ40年余り前のことや。
イラストレーターミスターカズボウさんの作品
その頃、既に川の下流には大きなダムができていて、海から遡上するうなぎの数が極端に少なくなっていたから、30本のつけ針をつけても、「坊主」は当たり前、うまく釣れて1、2匹がいいところやった。
川魚は、雨が降って川水がささ濁りの状態のときがもっともよく釣れる。
水量が増え、上流から餌が流れてくるからや。
うなぎも例外ではなく、夜中に雨が降った翌朝にはかかる率が上がった。
せやから、夜中から明け方にかけて雨が降る可能性のある日を狙っては仕掛けをしたもんやった。
当時、うなぎは高価で貴重な食べ物やったから、釣ってもそれが自分の口に入るということは皆無で(まだあの頃はうなぎの旨さを知らず、自分で釣ったうなぎを食べてみたいと思ったことはなかったんやが)、うなぎが釣れれば、それを近くの裕福な農家に売って小遣い稼ぎをしたもんやった。
一体、いくらぐらいで売れたんやったろうか、今は記憶にない。
俺は数年前に齢50を越え、この先の人生がほぼ見通せるところまできて、夢という言葉に託す思いが、将来、何をしたい、何になりたいというようなことではなく、過去に経験し味わってきたあれこれを、今1度再現してみたいという思いに変わってきた。
そうやねん。今、俺にあなたの夢はと問われれば、こう答えよう。
生まれ育ったあの故郷の渓流で、あのときあのままにうなぎのつけ針を心いくまでもう一度楽しみたいと。
(その?に続く)
俺とうなぎのこれまでの付き合いを思い出してみる。
俺は愛媛県宇和島市からバスで2時間あまり山奥に入った、あと1キロメートルも歩けば高知県に至るという山間僻地に生まれ、その地で中学を卒業するまで過ごした。
そこには迫りくる山林と段々畑のその窪みに雨を集めて渓流が流れ、地の者が「むつご」「どんこ」「かじか」などと呼んでいた小魚類や鮠、かに、うなぎなどが棲んでいた。
夏になると、俺は遊び友達と一緒にその渓流で、連日、水浴びや魚釣りに興じたんや。
その方法はというと、まず、うだるような暑さの昼日中、掬い網を片手に川に入る。
そして、草場の下手に救い網を据えて、上手から草場を揺らし、川草の根っこに憩っていた小魚が網の中に逃げ込んでくるところを掬い取るんや。
あるいは「鮠びん」と俺たちが呼んでいた、上部がへこんで穴が開いている長丸いガラス製の容器の中に、ヌカや味噌を混ぜ回して浅瀬の砂場に据え、その臭いに引かれて容器の中に入った小魚たちをゲットするんや。
次に、あらかじめ1メートル半ぐらいに切ったたこ糸の先に、地の者が「どんこ針」と呼んでいた太目の鉤針を結わえ付ける。
この鉤針を30本近く用意し、昼間に取った小魚を鉤針の先に刺して「つけ針」を作る。
夕方近く暮れなずむ頃、川の下手から上流に向けて、そのつけ針を1本1本、いかにもうなぎがいそうな場所に仕掛けていく。
これは夜行性であるうなぎが、夜中に活動する習性を利用する釣りなんや。
翌日、夜も明けやらぬ早暁、前の晩につけたつけ針を1本1本上げていくことの楽しみ。
つけ針をつけた夜は、まどろんでは起き、まどろんでは起きして、どんなに夜明けの来るのを待ち遠しく思ったことか。
これは、俺が小学校高学年の頃のことやから、もうかれこれ40年余り前のことや。

イラストレーターミスターカズボウさんの作品
その頃、既に川の下流には大きなダムができていて、海から遡上するうなぎの数が極端に少なくなっていたから、30本のつけ針をつけても、「坊主」は当たり前、うまく釣れて1、2匹がいいところやった。
川魚は、雨が降って川水がささ濁りの状態のときがもっともよく釣れる。
水量が増え、上流から餌が流れてくるからや。
うなぎも例外ではなく、夜中に雨が降った翌朝にはかかる率が上がった。
せやから、夜中から明け方にかけて雨が降る可能性のある日を狙っては仕掛けをしたもんやった。
当時、うなぎは高価で貴重な食べ物やったから、釣ってもそれが自分の口に入るということは皆無で(まだあの頃はうなぎの旨さを知らず、自分で釣ったうなぎを食べてみたいと思ったことはなかったんやが)、うなぎが釣れれば、それを近くの裕福な農家に売って小遣い稼ぎをしたもんやった。
一体、いくらぐらいで売れたんやったろうか、今は記憶にない。
俺は数年前に齢50を越え、この先の人生がほぼ見通せるところまできて、夢という言葉に託す思いが、将来、何をしたい、何になりたいというようなことではなく、過去に経験し味わってきたあれこれを、今1度再現してみたいという思いに変わってきた。
そうやねん。今、俺にあなたの夢はと問われれば、こう答えよう。
生まれ育ったあの故郷の渓流で、あのときあのままにうなぎのつけ針を心いくまでもう一度楽しみたいと。
(その?に続く)
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