母のこと②
母のこと②
母は愛媛県の宇和島市や大洲市からバスで2時間あまり山間部に入った日吉村という農村の中程度の農家の長女として生まれたのだった。
祖父母は母を頭に次から次へと8人の子どもを生んだのだった。
祖父母の家は日吉村では由緒のある農家であったが、何分、子沢山で、決して暮らしは楽ではないのだった。
毎日毎日、妹や弟の子守に明け暮れながら尋常小学校を卒業した母は、すぐさま、西条市にある生糸工場に働きに出されたのだった。
そんな母が、父のもとに嫁いできたのは、母が16歳のときのことだった。
父の家は、数キロ山を登れば高知県境にたどり着くという、母の生まれた村から数十キロ先の貧農で、3人兄弟の長男なのだった。
当時の結婚といえばすべて親のいいなりで、母は結婚式の日に初めて父を見たのだった。
母は、癇症な姑に仕えながら、結婚した翌年に姉を、3年後に私を、その3年後に弟を産んだのだった。
猫の額ほどの田畑しかない父の家は貧しかったのだった。
父はお人好しでまったく商才がなかったのだった。
それなのに、野心だけは人一倍あって、山林の売買に手を出して失敗し、農協や親戚から借金して、その利子で借財を膨らませたのだった。
母は、毎日野良仕事にいそしみ、しいたけなどの農作物を売るなどして一家の生計を支えようとしたが、家族の食い扶持をなんとかまかなうのに精一杯で、降り積む借財には到底追いつけないのだった。
母は愛媛県の宇和島市や大洲市からバスで2時間あまり山間部に入った日吉村という農村の中程度の農家の長女として生まれたのだった。
祖父母は母を頭に次から次へと8人の子どもを生んだのだった。
祖父母の家は日吉村では由緒のある農家であったが、何分、子沢山で、決して暮らしは楽ではないのだった。
毎日毎日、妹や弟の子守に明け暮れながら尋常小学校を卒業した母は、すぐさま、西条市にある生糸工場に働きに出されたのだった。
父の家は、数キロ山を登れば高知県境にたどり着くという、母の生まれた村から数十キロ先の貧農で、3人兄弟の長男なのだった。
当時の結婚といえばすべて親のいいなりで、母は結婚式の日に初めて父を見たのだった。
母は、癇症な姑に仕えながら、結婚した翌年に姉を、3年後に私を、その3年後に弟を産んだのだった。
猫の額ほどの田畑しかない父の家は貧しかったのだった。
父はお人好しでまったく商才がなかったのだった。
それなのに、野心だけは人一倍あって、山林の売買に手を出して失敗し、農協や親戚から借金して、その利子で借財を膨らませたのだった。
母は、毎日野良仕事にいそしみ、しいたけなどの農作物を売るなどして一家の生計を支えようとしたが、家族の食い扶持をなんとかまかなうのに精一杯で、降り積む借財には到底追いつけないのだった。
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