母のこと④
母のこと④
私は58歳になった今でも、何かあると心の中で「母ちゃん、母ちゃん」と母に呼びかけるのだった。
何か悪いことをして「母ちゃん、母ちゃん、堪忍してな」
途方に暮れて「母ちゃん、母ちゃん、助けて」
苦しくて「母ちゃん、母ちゃん、苦しいよう」
悲しみにうちひしがれて「母ちゃん、母ちゃん、悲しいよう」
助けを求めて「母ちゃん、母ちゃん、どないしょう」
コトコト笑う母の笑顔を想って「母ちゃん、母ちゃん、俺はここにいてるで」
それは、多分、私が中学校を卒業し、今は死語となった集団就職で田舎を離れ、松山市にある印刷会社に就職してから、望郷の思いに枕を濡らすようになってからのことなのだった。
あの頃は、何につけ母が恋しくてならなかったのだった。
私はあるとき、その思いを川柳に詠み、その川柳が新聞に掲載されたことがあったのだった。
それは「ふるさとの 便りをかばんに 夜学生」という川柳なのだった。
「母ちゃん」
その言葉は、今も私の心の中で、何かの符牒にように妖しくそして悲しい響きを持って、心の襞の隅々まで浸し通しているのだった。
私は58歳になった今でも、何かあると心の中で「母ちゃん、母ちゃん」と母に呼びかけるのだった。
何か悪いことをして「母ちゃん、母ちゃん、堪忍してな」
途方に暮れて「母ちゃん、母ちゃん、助けて」
苦しくて「母ちゃん、母ちゃん、苦しいよう」
助けを求めて「母ちゃん、母ちゃん、どないしょう」
コトコト笑う母の笑顔を想って「母ちゃん、母ちゃん、俺はここにいてるで」
それは、多分、私が中学校を卒業し、今は死語となった集団就職で田舎を離れ、松山市にある印刷会社に就職してから、望郷の思いに枕を濡らすようになってからのことなのだった。
あの頃は、何につけ母が恋しくてならなかったのだった。
私はあるとき、その思いを川柳に詠み、その川柳が新聞に掲載されたことがあったのだった。
それは「ふるさとの 便りをかばんに 夜学生」という川柳なのだった。
「母ちゃん」
その言葉は、今も私の心の中で、何かの符牒にように妖しくそして悲しい響きを持って、心の襞の隅々まで浸し通しているのだった。
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