母のこと⑤
母のこと⑤
幼い頃、私は母に捨てられたと感じたことがあったのだった。
それは、それまで母と2人で入っていたお風呂に1人で入ることを強いられたときのことなのだった。
ひょっとして、この子はちょっと知恵遅れなのではないかと心配するほどに成長の遅かった私は、いつも母につきまとう子どもで、母もそんな私を不憫に思い、人一倍愛情をかけてくれていたのだった。
風呂に1人で入るように強いたのは、いつまでもそんなことではいけない、乳離れをさせなければならないと考えた母の親心であったが、当時の私にそのわけがわかるはずもなく、私は「1人は嫌だ、嫌だ」と母に泣きすがったのだった。
母はそのようにして大きな無私の愛をこの私に降り注ぎ、私はその愛情に包まれて育ったのだった。
長じて、私は母や父やふるさとのことについて悲しい思い出ばかりをエッセイに書くようになり、それを読んだ母が「この子にはあんなに愛情をかけてきたと思っていたのに、なんでこんな文章ばかり書くんじゃろ」と悲しんでいたと姉から聞かされたことがあったのだった。
それは、考えてみると、中学校を卒業して田舎を離れ、何事につけ母のことを思い出し、思慕の情を募らせたその想いの裏返しに違いないのだった。
私は、そのような悲しい思い出を書くことで、より一層、母への想いを深めようとしていたのだった。
しかし、心に大きな鬱屈をかかえている私は、今、毎日、毎日、心に母を思い描きながらも、田舎に姉と一緒に住む老いた母に電話さえしないのだった。
情けのない息子なのだった。
室生犀星はこうふるさとを、そして母をうたうのだった。
ふるさとは遠きにありてうたうもの
そして悲しくうたうもの
よしやうらびれて井戸の乞食(かたい)となりとても
帰るところにあるまじや
このうたが私の心を鋭く刺し貫くのだった。
幼い頃、私は母に捨てられたと感じたことがあったのだった。
それは、それまで母と2人で入っていたお風呂に1人で入ることを強いられたときのことなのだった。
ひょっとして、この子はちょっと知恵遅れなのではないかと心配するほどに成長の遅かった私は、いつも母につきまとう子どもで、母もそんな私を不憫に思い、人一倍愛情をかけてくれていたのだった。
母はそのようにして大きな無私の愛をこの私に降り注ぎ、私はその愛情に包まれて育ったのだった。
長じて、私は母や父やふるさとのことについて悲しい思い出ばかりをエッセイに書くようになり、それを読んだ母が「この子にはあんなに愛情をかけてきたと思っていたのに、なんでこんな文章ばかり書くんじゃろ」と悲しんでいたと姉から聞かされたことがあったのだった。
それは、考えてみると、中学校を卒業して田舎を離れ、何事につけ母のことを思い出し、思慕の情を募らせたその想いの裏返しに違いないのだった。
私は、そのような悲しい思い出を書くことで、より一層、母への想いを深めようとしていたのだった。
しかし、心に大きな鬱屈をかかえている私は、今、毎日、毎日、心に母を思い描きながらも、田舎に姉と一緒に住む老いた母に電話さえしないのだった。
情けのない息子なのだった。
室生犀星はこうふるさとを、そして母をうたうのだった。
ふるさとは遠きにありてうたうもの
そして悲しくうたうもの
よしやうらびれて井戸の乞食(かたい)となりとても
帰るところにあるまじや
このうたが私の心を鋭く刺し貫くのだった。
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