母のこと⑥
母のこと⑥
私はことのほか、母の作るカレーが好きなのだった。
その当時のカレーのルーといえばハウスバーモントカレーがほとんどなのだった。
カレーに入れる蛋白源は、今では信じられないことだが、当時は山村で最も安価に手に入る鯨の冷凍肉なのだった。
それも手に入らないときは、ソーセージが入っているだけなのだった。
それも、品の悪いものだったから、カレーの中で煮込むと、膨張してプカプカ、カレーの表面に浮き上がるのだったが、それでも、私は何杯もおかわりをねだるのだった。
母はおはぎも上手につくるのだった。
炊き上がったもち米を、あずき餡でたっぷりくるんだ甘いおはぎは、手に余るほどに大きく、私は口の回りを小豆色に染めてむしゃぶりつくのだった。
おはぎのことを、田舎では「ぼたもち」と呼んでいて、私はことあるごとに「母ちゃん、ぼたもち作っちや。ぼたもち作っちや」とねだるのだった。
名前をなんといったか、小麦粉にふくらし粉をいれて練り、あんこを包んで蒸し器で蒸した饅頭もよく作ってくれたのだった。
それを、母は私の手の届かないように、たけざるの中にいっぱい入れて天井に吊るすのだったが、私はそれをなんとしても食べたくて、枝木を使ってなんとか天井からたけざるを下ろそうと苦心したものだった。
母は料理が好きなのだった。
けれども野良仕事に忙しく、その上、貧乏だったから碌な材料は手に入らなかったが、それでもときどき、今までみたこともないような料理を作るのだった。
これは、私が長じてのことだが、母の作る小芋の田楽が大好きになったのだった。
小口切りにしたねぎを麦味噌にたっぷり混ぜ込み、ゆずを香る程度に散らして、これを茹で上がった小芋にまぶすのだった。
できあがって熱々のところを頬張ると、小芋のとろりとした食感と麦味噌のこく、ゆずの香りが体中に満ちるのだった。それは母の香りなのだった。
私はことのほか、母の作るカレーが好きなのだった。
その当時のカレーのルーといえばハウスバーモントカレーがほとんどなのだった。
カレーに入れる蛋白源は、今では信じられないことだが、当時は山村で最も安価に手に入る鯨の冷凍肉なのだった。
それも手に入らないときは、ソーセージが入っているだけなのだった。
それも、品の悪いものだったから、カレーの中で煮込むと、膨張してプカプカ、カレーの表面に浮き上がるのだったが、それでも、私は何杯もおかわりをねだるのだった。
炊き上がったもち米を、あずき餡でたっぷりくるんだ甘いおはぎは、手に余るほどに大きく、私は口の回りを小豆色に染めてむしゃぶりつくのだった。
おはぎのことを、田舎では「ぼたもち」と呼んでいて、私はことあるごとに「母ちゃん、ぼたもち作っちや。ぼたもち作っちや」とねだるのだった。
名前をなんといったか、小麦粉にふくらし粉をいれて練り、あんこを包んで蒸し器で蒸した饅頭もよく作ってくれたのだった。
それを、母は私の手の届かないように、たけざるの中にいっぱい入れて天井に吊るすのだったが、私はそれをなんとしても食べたくて、枝木を使ってなんとか天井からたけざるを下ろそうと苦心したものだった。
母は料理が好きなのだった。
けれども野良仕事に忙しく、その上、貧乏だったから碌な材料は手に入らなかったが、それでもときどき、今までみたこともないような料理を作るのだった。
これは、私が長じてのことだが、母の作る小芋の田楽が大好きになったのだった。
小口切りにしたねぎを麦味噌にたっぷり混ぜ込み、ゆずを香る程度に散らして、これを茹で上がった小芋にまぶすのだった。
できあがって熱々のところを頬張ると、小芋のとろりとした食感と麦味噌のこく、ゆずの香りが体中に満ちるのだった。それは母の香りなのだった。
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