母のこと⑦
母のこと⑦
母は散らし寿司もよく作ったのだった。
それがまたうまかったのだった。
特に私の好きだったのは、田舎では「菜めし」と呼んでいた散らし寿司なのだった。
芝えびの殻をむいてその殻でだしをとり、えびを甘辛く煮るのだった。
大根葉を鮮やかな緑色に茹で上げて細かく刻むのだった。
炊き上げたばかりのごはんを釜から寿司桶に移し、寿司酢をかけながら切るように混ぜて、酢飯を作るのだった。
その酢飯に甘辛く炊いた芝えびと大根葉を混ぜ込むのだった。
たったそれだけのシンプルな散らし寿司だったが、それがまたうまいのだった。
食べ物の思い出といえば、父の作る自然薯汁も最高にうまかったのだった。
父は秋口に裏山に上り、山芋のつるの根っこに1メートルほどの竹串を刺しておくのだった。
そして冬も更け、雪がちらつく季節になると、竹串を目当てに雪をかき分け、地中深くにくねくね伸びた自然薯を、傷つけないように丁寧に掘り返すのだった。
持ち帰った自然薯を流水で丁寧に洗い、母の作っただし汁を少しづつ足しながら、囲炉裏端で時間をかけてすり鉢でするのだった。
私は、すり上がるのが今か今かと、一心に父の手元を覗き込んでいるのだった。
そこには、宇和島名物のじゃこ天も刻まれていれてあるのだった。
その自然薯汁を熱々のご飯にかけて食べる喜び。
私は口の回りがかゆくなるのも構わず、何杯も何杯もむしゃぶり食うのだった。
それは、新しい年を迎えようとする前の、晩冬の心温まる、いかにも懐かしい光景なのだった。
母は散らし寿司もよく作ったのだった。
それがまたうまかったのだった。
特に私の好きだったのは、田舎では「菜めし」と呼んでいた散らし寿司なのだった。
芝えびの殻をむいてその殻でだしをとり、えびを甘辛く煮るのだった。
大根葉を鮮やかな緑色に茹で上げて細かく刻むのだった。
炊き上げたばかりのごはんを釜から寿司桶に移し、寿司酢をかけながら切るように混ぜて、酢飯を作るのだった。
たったそれだけのシンプルな散らし寿司だったが、それがまたうまいのだった。
食べ物の思い出といえば、父の作る自然薯汁も最高にうまかったのだった。
父は秋口に裏山に上り、山芋のつるの根っこに1メートルほどの竹串を刺しておくのだった。
そして冬も更け、雪がちらつく季節になると、竹串を目当てに雪をかき分け、地中深くにくねくね伸びた自然薯を、傷つけないように丁寧に掘り返すのだった。
持ち帰った自然薯を流水で丁寧に洗い、母の作っただし汁を少しづつ足しながら、囲炉裏端で時間をかけてすり鉢でするのだった。
私は、すり上がるのが今か今かと、一心に父の手元を覗き込んでいるのだった。
そこには、宇和島名物のじゃこ天も刻まれていれてあるのだった。
その自然薯汁を熱々のご飯にかけて食べる喜び。
私は口の回りがかゆくなるのも構わず、何杯も何杯もむしゃぶり食うのだった。
それは、新しい年を迎えようとする前の、晩冬の心温まる、いかにも懐かしい光景なのだった。
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