母のこと⑨
母のこと⑨
田舎の暮らしは貧しかったのだった。
父はアルコール依存症に陥り、母は日々の野良仕事と金策に疲れ果て、夜になると居酒屋から酔眼で帰ってくる父と、毎日のように口論を繰り返すのだった。
私はそれが嫌で嫌でたまらないのだった。
だから、私は集団就職で松山に出てからは、母を恋しく思うことはあっても、盆と正月以外には田舎に帰ろうとはしないのだった。
長じて、私は父や母やふるさとへの思いを文章に書き綴るようになったのだが、父母の口論や貧しく生活ばかり書き連ねたのだった。
あるとき、姉から、母がそんな私の文章を読んで、「太郎には、小さい頃、いっぱい楽しい思い出を作ってやったのに、どうしてこの子はこんな悲しいことばかり書くんじゃろ」と涙ぐんでいたと聞かされたことがあったのだった。
私は姉からその話を聞いて、胸がふさがれる思いがしたのだった。
確かに、母は私を心からいつくしんでくれたのだった。
少々、この子はおつむが弱いんじゃないかと心配しながらも、深い無私の愛情を私に注いでくれたのだった。
私は私で、そんな母に甘えに甘えたのだった。
集団就職をしてからも、私は何かあると心の中で「母ちゃん、母ちゃん」と繰り返すのだった。
58歳になった今でもそうなのだった。
悲しい思い出ばかりを書き綴るのは、母への思いを増幅させるためかもしれないのだった。
そんな風に母のことを考えると、私の脳裏に、母との楽しかったことどもが次々と思い浮かぶのだった。
悲しかったことよりも、まずはそのことを書こう。そう私は思うのだった。
田舎の暮らしは貧しかったのだった。
父はアルコール依存症に陥り、母は日々の野良仕事と金策に疲れ果て、夜になると居酒屋から酔眼で帰ってくる父と、毎日のように口論を繰り返すのだった。
私はそれが嫌で嫌でたまらないのだった。
だから、私は集団就職で松山に出てからは、母を恋しく思うことはあっても、盆と正月以外には田舎に帰ろうとはしないのだった。
あるとき、姉から、母がそんな私の文章を読んで、「太郎には、小さい頃、いっぱい楽しい思い出を作ってやったのに、どうしてこの子はこんな悲しいことばかり書くんじゃろ」と涙ぐんでいたと聞かされたことがあったのだった。
私は姉からその話を聞いて、胸がふさがれる思いがしたのだった。
確かに、母は私を心からいつくしんでくれたのだった。
少々、この子はおつむが弱いんじゃないかと心配しながらも、深い無私の愛情を私に注いでくれたのだった。
私は私で、そんな母に甘えに甘えたのだった。
集団就職をしてからも、私は何かあると心の中で「母ちゃん、母ちゃん」と繰り返すのだった。
58歳になった今でもそうなのだった。
悲しい思い出ばかりを書き綴るのは、母への思いを増幅させるためかもしれないのだった。
そんな風に母のことを考えると、私の脳裏に、母との楽しかったことどもが次々と思い浮かぶのだった。
悲しかったことよりも、まずはそのことを書こう。そう私は思うのだった。
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