断酒日記再び(10.2 火)
昨夜も、瓶ビール1本、ワイングラス2杯を飲んでしまった。今日も体がだるい。
昨日は、妻に午後6時30分に帰ってくるようにいわれ、職場を出たのが5時過ぎである。
このまままっすぐ帰れば、6時過ぎには家に着いてしまう。フラフラと帰り道にある立ち飲み屋に寄った。飲んだのは大瓶1本のビール。あてはごぼ天あげ。
たまねぎ、ピーマン、じゃがいもをキッチンバサミで切り、じゃがいもは湯がいて、もやしとしいたけを洗った。それら野菜類を大皿に盛ったところで、妻がこういった。
「焼肉にはビールやけど、今日はワインの気持ちやわあ。あんた、業務用スーパーで1番安いのでいいからワイン買ってきて。あんたも飲むでしょ」
1瓶398円のワインを買って家に帰ると、テーブルにホットプレートが出されていて、既に妻と子らで焼肉パーティーは始まっていた。
私はワインのコルクを抜き、妻と私のグラスに注いで、そのワインを飲んだ。
ああ、悲しき習性。今日こそは飲まないでいよう。きっとそうしよう。
■ サイト「ガタゴト生きる」
「ガタゴト生きる」というサイトに「アルコール依存症とは」と題してこうある。
アルコール依存症のもっとも中心的な問題は「お酒がやめられない」という事実にあります。生活とお酒が切り離せないだけではなく、お酒がないと落ち着かずひどくお酒が飲みたい欲求を持ったり、お酒で失敗していることが続いているにもかかわらず、お酒をやめてしまうことができないというような状態を指します。アルコール依存症かどうか心配になって3日ほど飲まないことに満足して、また毎日飲み始めるようなら、それを「やめた」とは言いません。その3日はやめないために無理して作った3日であって、本当に「やめた」のではないからです。
医学の中で「依存」ということをいうときは2種類の意味があります。ひとつは精神的依存というもので、私たちが普通に感じている人や何かに頼りたい、あるいは何かに支えられていると感じるレベルのものから、その人無しではいられない、その物が無いと不安で落ち着かないというレベルものまで、基本的にはその人の人生や体験などと感情とが結びついて生まれるものがあります。もうひとつは身体的・生理的依存というもので、これはある種の薬物などが脳に影響して引き起こされる、強い精神的依存を含んだ依存状態があります。
一般に身体的・生理的な依存を引き起こす薬物の代表的なものとしては覚醒剤や大麻、コカイン、シンナーなどがありますが、アルコールはその中でももっとも身近にある薬物として知られてきています。これらの薬物は使用を中断すると禁断症状(離脱症状)を引き起こしますが、それは身体的・生理的依存が成立していることを示すサインでもあります。これらの薬物は多くの場合、精神的依存を求める心のすき間から忍び寄るものであり、気分の高揚感や幻覚作用を引き起こすことで、一時的な満足を与えますが、その代償として身体や脳に強い影響を与える作用を持っているのです。最初は心さみしい・何か物足りないという動機でも、やがて精神的な依存性が強くなるとそれを求める回数が増え、日常化し、さらに身体的・生理的依存が始まると禁断症状によって手や身体が震える・イライラする・汗をかく・不安になるなどの状態が起こり、それを止めるためにも薬物の常習が必要となって、また依存性を増すという限りない悪循環におちいるものです。
私の親父もアルコール依存症だった。いや、依存症を通り越して、アルコール中毒症状を呈するようになっていた。幻覚症状が出始めていたのである。
その自覚もあったのだろう、50数歳のある日、親父はぱったり酒を止めた。断酒会にも出席するようになった。それが60数歳で死ぬまで続いた。
私も親父の子である。私にも断酒はできる。きっとできる。今日はアルコールをきっと飲むまい。
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