断酒日記再び(10/25)
■ 一人では止められない
例え、アルコールを飲んだとしても、きっとこの「断酒日記再び」は書き続けようと思って9月の下旬から書き始めたが、10月12日を最後に早くも挫折してしまった。
酒量が元の木阿弥に戻り、日記を書く気力もうせてしまったのである。
しかし、これではいけないと思う。まだ、こうしてアルコールを飲み続けるのは、依存の度合いが底をついていないからなのかとも思うが、底をついたときには間違いなく家庭の崩壊、経済の崩壊が待っている。
立ち直りたい、いや立ち直らなければならない。双子の子らはまだ高校2年生である。ここで、この私が倒れるわけにはいかない。
昨夜も妻が「もう、あんたには本当に失望した。これ以上、家族に迷惑をかけないでほしい。せめて、経済的なことでは私にこれ以上の迷惑はかけないで」そう悲痛な叫びをあげた。
しかし、私はもう私一人の力で立ち直ることはできない。そのことは過去の飲酒の経験が物語っている。酒が冷めたあとのあの全身を覆う倦怠感に気力が失われることはわかっていても、そして体の変調が増幅することはわかりきっていても、アルコールを前にすると自制を失ってしまう。毎度毎度繰り返してきた光景である。
■ 断酒会への出席
もう1度、断酒会にいってみよう。私はそう決心した。断酒会には全日本断酒連盟とAA(アルコホーリクス・アノニマス)がある。どちらにいこうかと迷ったが、私は、前に2、3度通ったことのある全日本断酒連盟のA支部の例会に参加することにした。A支部の例会場所が職場に最も近かったからである。
勇気を奮って支部長に電話を入れ、例会に参加したい旨を告げると、是非に参加するよう誘っていただいた。
断酒会の例会は、午後7時から9時までの2時間。ただひたすら参加者が飲酒の経験を語り合い、断酒を誓いあう場である。そのことは、私も過去の参加経験から知っている。
探すのに手間取って会場に着いたのが午後7時過ぎ。室内に入ると、そこには40人近くの参加者が、長方形に配置された机に対面に座って、既に例会は始まっていた。
■ 参加者の心得
案内された椅子に腰掛けると、机の上に例会に出席する者の心得がこう書かれていた。
断酒の誓い
1 私たちは酒に対して無力であり、自分一人の力ではどうにもならなかったことを認めます。
2 私たちは断酒例会に出席し、自分を素直に語ります。
3 私たちは酒害体験を掘り起こし、過去の過ちを素直に認めます。
4 私たちは自分を改革する努力をし、新しい人生を創ります。
5 私たちは、家族はもとより、迷惑をかけた人たちに償いをします。
6 私たちは、断酒の喜びを酒害に悩む人たちに伝えます。
■ 参加者の酒害体験
参加者には高齢者が多いが、30から40代と見える人も7、8人いて、女性も7、8人いた。近くのアルコール専門病院で入院治療を受けながら例会回りをしている人や、他の支部から参加している人、医師、看護婦さんなど雑多である。
参加者は、司会者に名前を呼ばれるとその場に立ち上がり、自身の酒害体験を話す。
内容は壮絶な酒害体験だが、それを乗り越えて断酒を続けてきている人たちばかりだから、話口調は明るく柔らかい。みんな、その話に熱心に耳を傾けている。
■ 私の番
私の番がきた。私は恐れていた。というのも、初めて断酒会の例会に出席したとき、私の番がきて話し始めると、それまでのいろんな思いが頭の中に交錯して涙があふれ、嗚咽で言葉にならなかったからである。
あのときと同じことになりはしないか。そう心配しながら言葉を出すと、思いは募ってきたのだが、今回は幸いにも最後まで話すことができた。
私は、1年前に会社の健康診断で肝臓の数値が高く、このままアルコールを飲み続けたならば、肝硬変で死んでしまいかねないことを医師から告げられたこと、にも関わらず病院にもいかずにアルコールを飲み続けていること、手足がむくみ、胸のまわりにかゆみが表われ、尿が茶色く変色するなど体に変調をきたしていること、まだ、子らは小さく、今、病院に入院するわけにはいかないこと、まだ死ぬわけにはいかないこと、それでも、一人ではどうしてもアルコールを止めることができないこと、今回は是非に断酒を継続していきたいと思っていることなどを話した。
話し終えて椅子に座ると、隣に座っていて、先ほど、自身の酒害体験を話された50前とみえる女性が、がんばりましょうねと声をかけてくれた。
静かな口調で、酒害が原因で婚家を追い出され、実家に帰って母親と弟と暮らすことになったが、アルコールがやめられず、実家でも朝から隠れ飲みをするようになったこと、そのことをめぐる母親と弟との壮絶なやりとりなどなどを淡々と話された女性だった。
■ 断酒の誓い
2時間近くの時間はあっという間に過ぎた。最後は、皆して断酒の誓いの唱和である。
私は酒害から回復するため、断酒会に入会しました。
これからは例会に出席して酒を断ち、新しい自分をつくる努力をいたします。
多くの仲間が立ち直っているのに、私が立ち直れないはずはありません。
私も完全に酒をやめることができます。
私は心の奥底から酒のない人生を生きることを誓います。
■ 家族の誓い
昨日のアルコール依存者の家族の出席は一人だったが、断酒の誓いの唱和に続いて家族の誓いが読み上げられた。アルコール依存に苦しんでいるのは本人ばかりではない。家族も本人のアルコール依存に巻き込まれて苦しんでいるのである。
私は夫(こども・妻)の酒害に巻き込まれて悩み、苦しみました。
アルコール依存症は家族ぐるみの病気です。
病気だから治さなければなりません。
また治すことができます。
これからは酒害を正しく理解し、互いに協力して心の健康を回復します。
私は断酒会の皆様とともに、幸せになることを誓います。
■ 私の決心
こうして、久しぶりに出席した断酒会は終わった。皆さんの酒害体験を聞いていて、もっとも心に残ったのは、半年とか1年間とかの期間を決めて断酒しようと誓うのではなく、今日、この日を断酒しようと考えること、つまり1日断酒の考えが大切だという話だった。
1日断酒。私もこれからそう考えてみようと思う。今日、この日を断酒しよう。そして、今日、この日1日を断酒できたことを喜ぼう。そのことが結果的に断酒の継続につながるに違いない。
皆して唱和したように、多くの仲間たちが立ち直っているのに、この私が立ち直れないはずがない。私の父も断酒会に出席するようになって、アルコール依存症から立ち直り、それからは生涯、酒を一滴も口にしなかった。私はその父の子である。私にもできる。きっとできる。
私は、ここに断酒を誓う。
電子出版プラットフォーム「パブー」から、田中かわずのペンネームで、400字詰め原稿用紙で10枚程度の短編小説「桜」「みっちゃんへ」「ピヨピヨ」「ベロの辛抱」、中編小説「おばあちゃんへの贈り物」を電子出版しました。無料です。よかったら読んでね。
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例え、アルコールを飲んだとしても、きっとこの「断酒日記再び」は書き続けようと思って9月の下旬から書き始めたが、10月12日を最後に早くも挫折してしまった。
酒量が元の木阿弥に戻り、日記を書く気力もうせてしまったのである。
立ち直りたい、いや立ち直らなければならない。双子の子らはまだ高校2年生である。ここで、この私が倒れるわけにはいかない。
昨夜も妻が「もう、あんたには本当に失望した。これ以上、家族に迷惑をかけないでほしい。せめて、経済的なことでは私にこれ以上の迷惑はかけないで」そう悲痛な叫びをあげた。
しかし、私はもう私一人の力で立ち直ることはできない。そのことは過去の飲酒の経験が物語っている。酒が冷めたあとのあの全身を覆う倦怠感に気力が失われることはわかっていても、そして体の変調が増幅することはわかりきっていても、アルコールを前にすると自制を失ってしまう。毎度毎度繰り返してきた光景である。
■ 断酒会への出席
もう1度、断酒会にいってみよう。私はそう決心した。断酒会には全日本断酒連盟とAA(アルコホーリクス・アノニマス)がある。どちらにいこうかと迷ったが、私は、前に2、3度通ったことのある全日本断酒連盟のA支部の例会に参加することにした。A支部の例会場所が職場に最も近かったからである。
勇気を奮って支部長に電話を入れ、例会に参加したい旨を告げると、是非に参加するよう誘っていただいた。
断酒会の例会は、午後7時から9時までの2時間。ただひたすら参加者が飲酒の経験を語り合い、断酒を誓いあう場である。そのことは、私も過去の参加経験から知っている。
探すのに手間取って会場に着いたのが午後7時過ぎ。室内に入ると、そこには40人近くの参加者が、長方形に配置された机に対面に座って、既に例会は始まっていた。
■ 参加者の心得
案内された椅子に腰掛けると、机の上に例会に出席する者の心得がこう書かれていた。
断酒の誓い
1 私たちは酒に対して無力であり、自分一人の力ではどうにもならなかったことを認めます。
2 私たちは断酒例会に出席し、自分を素直に語ります。
3 私たちは酒害体験を掘り起こし、過去の過ちを素直に認めます。
4 私たちは自分を改革する努力をし、新しい人生を創ります。
5 私たちは、家族はもとより、迷惑をかけた人たちに償いをします。
6 私たちは、断酒の喜びを酒害に悩む人たちに伝えます。
■ 参加者の酒害体験
参加者には高齢者が多いが、30から40代と見える人も7、8人いて、女性も7、8人いた。近くのアルコール専門病院で入院治療を受けながら例会回りをしている人や、他の支部から参加している人、医師、看護婦さんなど雑多である。
参加者は、司会者に名前を呼ばれるとその場に立ち上がり、自身の酒害体験を話す。
内容は壮絶な酒害体験だが、それを乗り越えて断酒を続けてきている人たちばかりだから、話口調は明るく柔らかい。みんな、その話に熱心に耳を傾けている。
■ 私の番
私の番がきた。私は恐れていた。というのも、初めて断酒会の例会に出席したとき、私の番がきて話し始めると、それまでのいろんな思いが頭の中に交錯して涙があふれ、嗚咽で言葉にならなかったからである。
あのときと同じことになりはしないか。そう心配しながら言葉を出すと、思いは募ってきたのだが、今回は幸いにも最後まで話すことができた。
私は、1年前に会社の健康診断で肝臓の数値が高く、このままアルコールを飲み続けたならば、肝硬変で死んでしまいかねないことを医師から告げられたこと、にも関わらず病院にもいかずにアルコールを飲み続けていること、手足がむくみ、胸のまわりにかゆみが表われ、尿が茶色く変色するなど体に変調をきたしていること、まだ、子らは小さく、今、病院に入院するわけにはいかないこと、まだ死ぬわけにはいかないこと、それでも、一人ではどうしてもアルコールを止めることができないこと、今回は是非に断酒を継続していきたいと思っていることなどを話した。
話し終えて椅子に座ると、隣に座っていて、先ほど、自身の酒害体験を話された50前とみえる女性が、がんばりましょうねと声をかけてくれた。
静かな口調で、酒害が原因で婚家を追い出され、実家に帰って母親と弟と暮らすことになったが、アルコールがやめられず、実家でも朝から隠れ飲みをするようになったこと、そのことをめぐる母親と弟との壮絶なやりとりなどなどを淡々と話された女性だった。
■ 断酒の誓い
2時間近くの時間はあっという間に過ぎた。最後は、皆して断酒の誓いの唱和である。
私は酒害から回復するため、断酒会に入会しました。
これからは例会に出席して酒を断ち、新しい自分をつくる努力をいたします。
多くの仲間が立ち直っているのに、私が立ち直れないはずはありません。
私も完全に酒をやめることができます。
私は心の奥底から酒のない人生を生きることを誓います。
■ 家族の誓い
昨日のアルコール依存者の家族の出席は一人だったが、断酒の誓いの唱和に続いて家族の誓いが読み上げられた。アルコール依存に苦しんでいるのは本人ばかりではない。家族も本人のアルコール依存に巻き込まれて苦しんでいるのである。
私は夫(こども・妻)の酒害に巻き込まれて悩み、苦しみました。
アルコール依存症は家族ぐるみの病気です。
病気だから治さなければなりません。
また治すことができます。
これからは酒害を正しく理解し、互いに協力して心の健康を回復します。
私は断酒会の皆様とともに、幸せになることを誓います。
■ 私の決心
こうして、久しぶりに出席した断酒会は終わった。皆さんの酒害体験を聞いていて、もっとも心に残ったのは、半年とか1年間とかの期間を決めて断酒しようと誓うのではなく、今日、この日を断酒しようと考えること、つまり1日断酒の考えが大切だという話だった。
1日断酒。私もこれからそう考えてみようと思う。今日、この日を断酒しよう。そして、今日、この日1日を断酒できたことを喜ぼう。そのことが結果的に断酒の継続につながるに違いない。
皆して唱和したように、多くの仲間たちが立ち直っているのに、この私が立ち直れないはずがない。私の父も断酒会に出席するようになって、アルコール依存症から立ち直り、それからは生涯、酒を一滴も口にしなかった。私はその父の子である。私にもできる。きっとできる。
私は、ここに断酒を誓う。
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