断酒日記再び(11/1)
■ アダルトチルドレン
アダルトチルドレンという言葉がある。元はアルコール依存症の親の元で育った子どもが大人になった状態をそう呼んだようだが、現在は、もっと広くアルコール依存症ばかりではなく、なんらかの原因で機能不全に陥った家庭で生きづらさを感じながら育った子どもたちが、大人になった状態をそう呼んでいるようだ。
そういう環境で育った子どもは、大人になってもそれ特有の行動パターンをとることになる。
例えば、父親がアルコール依存で家庭を顧みず、それがために母親から頼られ父親の役回りまでをも果たしてきた子どもは、母親の愚痴を聞いたり、なぐさめたり、何かと母親の面倒をみてきた「やさしい子」のまま、大人になっても常に他人に対してその役回りを演じていなければ不安で仕方がないなどなど。
■ 私の場合
私の場合を考えてみる。
父がアルコール依存で、毎日のように近くの酒屋で焼酎をあおり、飲んだくれては家に帰ってきて、母親と喧嘩の毎日だった。
私はそれが子供心に嫌で嫌でたまらなかった。もう、こんな家にはいたくないと何度も思った。
中学校を卒業し、今は死後となった集団就職でふるさとを離れ、松山市にある印刷会社に勤めるようになったときは、本当に心の底から嬉しかった。もう、これであの夫婦喧嘩をみないですむ!
飲んだくれた父に暴力を振るわれたり、暴言をはかれた記憶はない。母からくどくど父親の愚痴を聞いた記憶もない。しかし、ある夜の夫婦喧嘩は今でも忘れられない。
それは、酔った父が始めて母に手を上げたときのことである。泣き崩れた母は「もうこんな家にはいられない。実家に帰らせてもらいます」そう金切り声を張り上げて身支度は始めた。
その母に、私は「母ちゃん、いかんといて、いかんといて」と泣きながら取りすがったのである。
■ もう一つの思い出
もう一つの思い出。それは以前にも書いたことがあるが、泣き上戸の父親が縁側で涙を一杯ためながら庭で遊んでいる私を見ている風景。
私は、なぜ、父が泣いているのかがわからず、私が何か悪さをして、そのことで父が泣いているに違いないと勘違いし、「父ちゃん、もう悪いことはせえへんから、もうせえへんから」と、これまた父に泣きすがったのだった。
確かに、その頃、我が家の生活は急迫していた。父のそのときの涙は泣き上戸ゆえではなかったかもしれない。
父が、単車に乗ってスピードを出し、目をつぶって自殺を試みたのもその頃のことである。父も辛かったのである。
中学校の卒業式に、私たちの子どもの聡が、学年代表の一人として中学校の思い出を読み上げたことがあるが、その中で、家では両親が喧嘩ばかりしていて辛かった、あまり家には帰りたくなかったといったことを書いていた。
幼いなりに、私たち夫婦の喧嘩に胸を痛めていたのである。それを聞いて、私は胸ふさがれる思いがしたことを思い出す。
そうである。私は今、父と同じことを繰り返しているのである。
結婚しても両親のようにはなりたくない。そう願った私が、今、父と同じようにアルコール依存にかかり、同じ借金の悩みを抱えて生きている。これもアダルトチルドレンゆえなのだろうか。共依存といわれる現象なのだろうか。
以前にも書いたが、父はある日を境にしてアルコール依存から脱却した。
私は父の子である。私にもできないはずがない。何度も何度もそう言い聞かせてみる。
今日も、私は酒を飲んだ。それもいつもより多量に。その内容はここにもう書きたくない。
けれども、私は思う。明日こそは飲むまい、1日断酒を励行しようと。しかし、その誓いのなんと空々しいことか。
電子出版プラットフォーム「パブー」から、田中かわずのペンネームで、400字詰め原稿用紙で10枚程度の短編小説「桜」「みっちゃんへ」「ピヨピヨ」「ベロの辛抱」、中編小説「おばあちゃんへの贈り物」を電子出版しました。無料です。よかったら読んでね。
エッセイ「オレのリハビリ日記」をパブーから有料で電子出版しました。300円です。よかったら買って読んでね。
アダルトチルドレンという言葉がある。元はアルコール依存症の親の元で育った子どもが大人になった状態をそう呼んだようだが、現在は、もっと広くアルコール依存症ばかりではなく、なんらかの原因で機能不全に陥った家庭で生きづらさを感じながら育った子どもたちが、大人になった状態をそう呼んでいるようだ。
例えば、父親がアルコール依存で家庭を顧みず、それがために母親から頼られ父親の役回りまでをも果たしてきた子どもは、母親の愚痴を聞いたり、なぐさめたり、何かと母親の面倒をみてきた「やさしい子」のまま、大人になっても常に他人に対してその役回りを演じていなければ不安で仕方がないなどなど。
■ 私の場合
私の場合を考えてみる。
父がアルコール依存で、毎日のように近くの酒屋で焼酎をあおり、飲んだくれては家に帰ってきて、母親と喧嘩の毎日だった。
私はそれが子供心に嫌で嫌でたまらなかった。もう、こんな家にはいたくないと何度も思った。
中学校を卒業し、今は死後となった集団就職でふるさとを離れ、松山市にある印刷会社に勤めるようになったときは、本当に心の底から嬉しかった。もう、これであの夫婦喧嘩をみないですむ!
飲んだくれた父に暴力を振るわれたり、暴言をはかれた記憶はない。母からくどくど父親の愚痴を聞いた記憶もない。しかし、ある夜の夫婦喧嘩は今でも忘れられない。
それは、酔った父が始めて母に手を上げたときのことである。泣き崩れた母は「もうこんな家にはいられない。実家に帰らせてもらいます」そう金切り声を張り上げて身支度は始めた。
その母に、私は「母ちゃん、いかんといて、いかんといて」と泣きながら取りすがったのである。
■ もう一つの思い出
もう一つの思い出。それは以前にも書いたことがあるが、泣き上戸の父親が縁側で涙を一杯ためながら庭で遊んでいる私を見ている風景。
私は、なぜ、父が泣いているのかがわからず、私が何か悪さをして、そのことで父が泣いているに違いないと勘違いし、「父ちゃん、もう悪いことはせえへんから、もうせえへんから」と、これまた父に泣きすがったのだった。
確かに、その頃、我が家の生活は急迫していた。父のそのときの涙は泣き上戸ゆえではなかったかもしれない。
父が、単車に乗ってスピードを出し、目をつぶって自殺を試みたのもその頃のことである。父も辛かったのである。
中学校の卒業式に、私たちの子どもの聡が、学年代表の一人として中学校の思い出を読み上げたことがあるが、その中で、家では両親が喧嘩ばかりしていて辛かった、あまり家には帰りたくなかったといったことを書いていた。
幼いなりに、私たち夫婦の喧嘩に胸を痛めていたのである。それを聞いて、私は胸ふさがれる思いがしたことを思い出す。
そうである。私は今、父と同じことを繰り返しているのである。
結婚しても両親のようにはなりたくない。そう願った私が、今、父と同じようにアルコール依存にかかり、同じ借金の悩みを抱えて生きている。これもアダルトチルドレンゆえなのだろうか。共依存といわれる現象なのだろうか。
以前にも書いたが、父はある日を境にしてアルコール依存から脱却した。
私は父の子である。私にもできないはずがない。何度も何度もそう言い聞かせてみる。
今日も、私は酒を飲んだ。それもいつもより多量に。その内容はここにもう書きたくない。
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