断酒日記再び(11/15 人は酒に無力)
昨日は断酒例会だった。4週間前に入会し断酒を決意するも3日で挫折、再飲酒がはじまって次の断酒例会はなんとなく出席しづらくて欠席、先週は、再度の断酒を決意して出席し、それから1週間断酒を継続することができた。だから、今回は胸を張って出席できる。
しかし、ここに1つ難題がある。妻である。
以前、断酒会に行こうと決めたときに、その前日、妻に「明日、断酒会に行こうと思っているから帰りは10時前になる」というと、「何、勝手なこと言ってんの。明日は私も用事があるから家を留守にする。子どもの晩ご飯はどうするんよ? あんたはいつもそんな風に自分のことばかり言って勝手に行動するけど、家のことも考えてよね。それに、断酒会に行くなとはいわんけど、近くの断酒会には行かんといてよ。あっこのご主人、アル中やてと言われたないから」との反論に会い、我ながら情けないことだが、出席を断念したことがある。
断酒会に、アルコール依存に陥ったその本人が、自ら進んでいくことはあまりない。アルコール依存で入院を余儀なくされた患者が、病院の院内例会を通して断酒会に出席するとか、アルコール依存による家庭内暴力などに手を焼いた家族や親族が、本人を説得して例会に出席させるというのが通常のパターンである。
私の場合は、これとは反対に私自ら断酒会にいこうとしていて、妻はそれについてはあまりいい顔をしない。しかし、なんども書くが、それは妻に原因があるのではない。私のこれまでの日ごろの行動が、妻をしてそういわしめているだけである。誤解があるといけないので再度書いておく。
私は酒を飲んで家族に暴力を振るったり、暴言を吐くとか、翌日は会社を休むとかはしないから、妻にすれば、「なんでそこまでしなければアルコールが止められないの? それって、あんたの自覚の問題じゃないの? 自分で自覚して断酒するか節酒すればすむ話じゃないの?」という思いが、心の奥底に潜んでいることは間違いない。
また、近くの断酒会にはいかないでほしいというアルコール依存症者への偏見ともとれる発言にしても、アル中という言葉にも見えるように、この社会の中にいまだにアルコール依存症への偏見が残っている以上、仕方のないことである。
「おまえのお父ちゃん、アル中やてな」などといわれることによって、子らまでもがいわれない差別を受けることになりはしないかと妻が心配することは、親としてある意味当然ともいえる。そのことを非難することは私にはできない。
■ 妻にメールを打つ
私は一策を案じ、妻にメールを打つことにした。こうである。
「今日の夕食は何にしますか。米が切れているので、シュウマイと野菜をたっぷり入れてうどんすきはどうですか。それでよければ、会社が終わったら超特急で家に帰って用意をします。で、用意ができたら、今日は、茨木で断酒例会があるので出席したいと思っています。返事を待っています」
小1時間後にメールが帰ってきた。「わかった。そうしてネ」
作戦成功。午後5時に会社を出て、業務用スーパーで材料を買い、6時に家に帰ってうどんすき鍋を作る。そうして6時30分に家を出れば、7時には断酒例会会場に着くという計算である。
これで、妻に断酒をしていることもさりげなく言ったし(→掲載ページ)、断酒会に出席することも言った。さあ、あとは断酒の実績を重ねるのみである。
■ 断酒例会
うどんすき鍋を作るのに、若干時間がかかって、断酒例会の会場に着いたのは7時20分頃になってしまった。
会場に入ると、既に例会は始まっていて、参加者の一人が立ち上がり、飲んでいた時代の経験談を話されていた。昨日の参加者は20人ほどだった。
私の番がきた。私は、先週、再度の断酒を決意してから1週間断酒を継続できていることを報告した後、最近、本人や家族の書かれた酒害体験ブログを読んでいること、そこには大変な酒害経験が書かれて驚かされること、それを読んで断酒への決意を新たにしていることなどを話した。
参加者の中で、印象に残った話を書き留めておこう。
◇ これはアルコール依存症の家族が話されたことである。
ある断酒の会合に出席して、帰り際に「ご主人のために頑張ってくださいね」といわれた。そのときもちょっとカチンときたが、家に帰ってその言葉を思い出すとムラムラと怒りがわいてきた。
「わたしは夫のために断酒会にいってるんやない! 自分のために行ってるんや!」。
依存者に対して家族は何もすることはできない。断酒するためには、依存者本人がこれではいけないと気づくしかない。家族にできることといえば家族自身が変わること、依存者に振り回されない生き方を家族が見つけることだと思う。
家族が断酒会に出席するのは依存者のためではない。自分自身のためである。
そんな内容の話だった。
◇ これは依存者の話された話。
酒害の内容や酒害体験を、ブログや本などを読んで学ぶのは大切なことだが、それだけでは足りない。理屈じゃない。断酒例会に身を置くこと、これが最も大切である。
断酒会に出席すれば誰かの体験が断酒の動機づけをしてくれる。そのチャンスをつかむこと、これが大事である。
■ 昨日の例会で思ったこと
昨日の例会の話を聞いていて思ったことがある。
断酒例会に出席しているほとんどの元依存者は、断酒を継続するためには例会出席がもっとも大切なことだという。昨夜の例会でも皆さんが口をそろえて例会に出席することが、断酒を継続する唯一の道であることを強調されていた。
これは考えてみれば当然のことである。例会出席者はそうすることによってこそ、これまで断酒を継続してこられたのだから。
しかし、断酒例会に出席しないでも断酒を継続できている元依存者もいる。そういう人を私も知っている。その人からみれば、このような例会万能の考えは笑止ということになるだろうし、依存者でない人が例会に出席して、出席者のこの発言を聞けば、なんて偏狭な考え方だと思うかもしれない。
それでも、依存者が断酒を継続するためには、例会(AAなどの自助グループの集まりを含めて)に出席することこそが必要不可欠な道なのである。それしか救われる道はない。
昨日も、ある出席者がやや揶揄的に、こんな発言をされた。
「酒をやめるというバカなことを継続していくためには、バカな集団に身を置くしかない」
依存者はアルコールに対して無力である。1人では抗いようがない。仲間と一緒になって助け合いながら抗うしか方途はないのである。
断酒連盟の断酒必携「指針と規範」の断酒新生指針の第1指針はこうである。
「酒に対して無力であり、自分一人の力ではどうにもならなかったことを認める」
解説はこうだ。
「酒害者の酒に対する執着は凄まじい。悩み苦しんでいる家族よりも酒のほうを選び、ときにはコップ1杯の酒に自分の人生を賭けてもよい、と考えることすらある。
内臓疾患、職場での重大なミス、離婚問題等が動機になって節酒に挑戦し、何回となく失敗してもなお、酒に対して無力であるという現実を認めることができない。
節酒ができないことを認めて、ときには断酒に挑戦する人もあるが、ほんの数日でまた飲み始める。そして、たとえわずかな日数でも酒を断つことができたのだから、今度こそ節酒ができるはずだと考えている。
何度繰り返しても、自分が酒に対して意思が働かない人間であり、アルコール依存症になっているとは認めない。酒に対する無力の承認は、もう2度と酒を飲めないことを意味する。そしてそれは、生きがいのすべてを酒害者から奪い取ることでもあるのである。
また、アルコール依存症ほど理解されていない病気もめずらしい。低人格、意志薄弱人間がなると考えている人が多く、回復が可能だと考えている人は極めて少ない。この病気に対する偏見、誤解は社会に満ち溢れている。そして、酒会者自身が世間と同じ偏見を持っていることが、問題の解決を難しくしている。自分をアルコール依存症だと認めることは、己の全人格を否定することにもなりかねないのである。
しかし、事実は事実として素直に受け入れよう。酒に対して無力であることは、決して恥ずかしいことではない。アルコール依存症は、元来、酒を絶対にコントロールできない病気であり、人格が原因で発病するものではない。自分がアルコール依存症になっており、酒に対して無力であるという事実を認めないことが恥ずかしいことであり、断酒を決意し、この病気から回復しようとする努力は誇れるものである」
それともう1つ参加して思ったことを書く。
断酒会でこういわれた人がいる。
「私は、離脱体験も禁断症状も経験していません。そういう意味では底をついているとはいえないかもしれない。でも、断酒はどうしても継続しなければならない、継続したいと思っています。断酒にいたる過程は人それぞれです。こうなったから断酒しなければならないということはありません。本人が断酒しなけらばだめだ、そう思ったときがそのときなのです」
私は、壮絶で悲惨な酒害体験をブログや例会で見聞きするにつけ、まだ、私の依存の度合いは底をついていないと感じてきた。
そんな依存症の底をついていない私が断酒しても、体の調子がよくなれば、またぞろ再飲酒の道に戻るのではないか。なぜなら、私にはあんな地獄に2度と帰りたくないという経験がないのだから。そう考え、その思い、心配をこのブログにも書いてきた(→掲載ページ)。
しかし、この考えはどうやら間違っている。
私はこの頃、休みの日には朝から飲んでいた。朝起きると、冷蔵庫に缶ビールがあれば起きがけの駄賃とばかりに1本飲み、お昼になれば料理をしながらもう1本、家族と食事をしながらさらに1本、3時頃にテレビを見ながら1本、夜には晩ご飯を作りながら1本、テレビをみながら焼酎の水割り数杯。
翌日は、頭をガンガンいわせながらなんとか会社に出勤するという生活だった。
飲むために多額の借金も作った。返済の方策はまだない。
肝臓も腎臓もうなりをあげている。医者は肝硬変で死ぬかもしれないといっている。それでも飲んだ。
これは立派な底つきではないか。あまりにも壮絶な酒害体験に接して、無意識のうちに、私は、自分の依存度はまだ軽い、なんとかなる、大丈夫だと思おうとしているだけなのではないのか。
そうなのである。飲酒が生活を破壊し、命を縮め、断酒しなければ先がない、このまま一生を終えたくないと気づいたときが、その人にとっては断酒を始めるときなのだろう。まさにそのときが、その依存者にとって底をついたといえることなのだろう、そう今は思う。
1日断酒。これしかない。来週もきっと断酒例会に出席し、気づきを深めたいと思う。
■ 今日の弁当
材料は、妻があれこれ買ってくれていた。自分で作るのかと思いきや、「あんた、明日の弁当お願いね。学校に行ったら給食があるけど、明日、私は休みやから、私の分もお願いね」ときた。で、作った弁当がこれ。
◇ これは妻のお昼。
◇ 塩鮭
焼いただけ。
◇ 炒り卵
ハムを細かく切り、もやしを加えて塩こしょうして、フライパンで炒めた上に、ザァーっと卵を回しかけて炒り卵のできあがり。
◇ きゅうりのハム巻き
きゅうりを拍子木に切って塩こしょうし、ハムで巻いた。
◇ 肉団子
これは市販品。
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