断酒日記再び(11/19 ブログ「吐血混沌断酒日記」)
■ ブログ「吐血混沌断酒日記」
ハンドルネーム「maria龍女」さんの断酒ブログ「吐血混沌断酒日記」を、この頃よく読む。
2010年4月にアルコール依存による連続飲酒が原因で、食道静脈瘤破裂を起こして吐血、以来、今日まで断酒を継続している女性の断酒日記である。
ブログをあけると、まず、口元から血を流している若い女性の、写真に近いイラストが目に飛び込んでくる。
私は、断酒をはじめたのが1ヶ月ほど前のことで、それからいろいろな断酒ブログをサーフィンしているのだが、初めてこのブログを開けたときは、この映像のあまりのあざとさに記事を読む気になれずすぐにスルーした。
のちに、このブログを読むようになって、ひょっとするとこのイラストは、maria龍女さんその人の作品かとも考えたが、ブログの末尾に「Template design by ◆若干廃墟◆」とあるところを見ると、どうもそうではないようだ。
何のきっかけで、再度、このブログを開けたのかはもう忘れてしまったが、龍女さんが書かれた単車同士の正面衝突事故を起こした顛末記事がおもしろく(→掲載ページ)、つい、ブログの当初に遡って読み始めたのだった。
そのすべてを、まだ読んでいるわけではないので、私の感じている龍女さんのその人となりをここに書くことはやや早計ではあるが、誤解を恐れず書くならばこうである。
龍女さんの年齢は不詳だが、ちょっと悪女っぽいところのあるアクティブな女性のようだ。まさに、中島みゆきの「悪女」を連想させる。どこかにひどく冷めたところがあって、そのくせちょっと人情家で、やや人生を斜めからみてるという印象がある。皮肉屋さんでもある。
こういう感じの女性を私は苦手だ。かといって嫌いなわけではない。むしろ一種の羨望を感じながらも声をかけることもできず、遠くの方から鳥瞰するしかないといった具合だ。
龍女さんがアルコール依存に陥った経過もすさまじければ、龍女さんのアルコール依存度もすさまじい。
結果、食道静脈溜破裂という悲惨を味わうことになるのだが、それ以来、今日まで、断酒会やAAなどの自助グループにも加わらず、独自で断酒を継続されている。本人は否定されるのだろうが、なんとも意思の強い方である。
お母さんがある精神病院の看護婦さんということもあってか、医療に関する専門知識の豊富な方で、読んでいるとその方面でも参考になる記事が多い。
■ うぬぼれるアル中の末路
最近の記事に、今、龍女さんが勤めている会社内で鉄筋溶接工場をひとつ任されているベテランの職人が、アルコール依存症により定年を待たずに自主退職(実体は解雇に近い)を余儀さくされた話がでてくる(→掲載ページ)。
「俺はこの中では天皇だからな」が口癖の自信家だったが、アルコール依存の症状がひどくなってからは、朝、起きることができずにそのたびに欠勤を繰り返すようになり、そんなこんなで部下はブチ切れ、遂には会社にも見放されての退職だったという。
龍女さんは、この記事を「そのアル中の職人さんは、誰にも見送りされることなく一人で寂しげな後姿で去っていったけど、アル中の末路なんてこんなもの」と結んでいる。
■ ある音楽教師の思い出
私は、この記事にこんなコメントを寄せた。
「確かに、考えてみると、身の周りにアルコール依存症にかかっている人って結構いますね。
私の場合も、過去も含めると両手では足りません。
小学生の頃、音楽の先生がいつも顔に生傷が絶えず、ときに授業中に泣き出したりして授業にならなかったことがあり、幼心にこれってなんなんだろうと思っていたところ、それは旦那がアル中で、夜毎夜毎、酔っ払っては音楽の先生に暴力を振るっているのだと聞かされたことがありました。
アルコール依存症は家族や周りを不幸に巻き込む厄介な病気です。
本人は事業自得としても、その職人さんに家族がいたとしたら、どんな思いだろうとつい想像してしまいます」
私が小学生低学年の頃の思い出である。私は、その頃、歌が得意で、大きな声を出して歌っていたから、よくその先生に褒めてもらった。現金なもので褒めてもらうと嬉くれ嬉しくて、音楽の時間が待ち遠しかった記憶がある。
先生の夫が何を職業にしていたのかは記憶にない。先生が顔に真新しい生傷をつけて学校にきた日には、ピアノを弾く手を止めて、突如として弦盤に突っ伏して泣き始めるということがよくあった。
幼い私たち生徒は、その意味するところがまったくわからず、皆が「またや」といった感じで顔を見合わせ、先生が落ち着くのを待つしかないのだった。
それが酒乱の夫のよる妻へのDVだったことは後日知ったことである。幸いに子どもはいなかった。
都会から離れた山村のことである、それにまだまだ女性の人権に対する意識は低い時代だった。夫の所業は村民みんなに知れ渡ってはいたが、その程度のことはよくあることと片付けられ、あまり問題にはされていなかったようだった。
しかし、遂には先生の夫のその他の所業が一線を越えて村民の反感を買い、その音楽の先生も学校にいられなくなって、2人わびしくふるさとを去っていった記憶が、私の脳裏の片隅に残っている。
龍女さんのいうように「アル中の末路なんてこんなもの」で、それは自業自得だが、それに巻き込まれる家族の悲惨は例えようがない。
家族自らが共依存に陥ることなく自立すべしとは、いうは簡単だが、いざ実践するとなると、命を懸けた戦いになることだろう。
私も家族のことを考える。そして、今こそ、この断酒を継続しなければならないと心から思う。
断酒12日目。1日断酒あるのみ。
■ 今日の弁当
今日は子らはパン飯。で、私の弁当もお休み。代わりに会社にきている仕出し屋の弁当を注文した。370円也。
最近は、弁当も安くなったね。
電子出版プラットフォーム「パブー」から、田中かわずのペンネームで、400字詰め原稿用紙で10枚程度の短編小説「桜」「みっちゃんへ」「ピヨピヨ」「ベロの辛抱」、中編小説「おばあちゃんへの贈り物」を電子出版しました。無料です。よかったら読んでね。
エッセイ「オレのリハビリ日記」をパブーから有料で電子出版しました。300円です。よかったら買って読んでね。
ハンドルネーム「maria龍女」さんの断酒ブログ「吐血混沌断酒日記」を、この頃よく読む。
2010年4月にアルコール依存による連続飲酒が原因で、食道静脈瘤破裂を起こして吐血、以来、今日まで断酒を継続している女性の断酒日記である。
私は、断酒をはじめたのが1ヶ月ほど前のことで、それからいろいろな断酒ブログをサーフィンしているのだが、初めてこのブログを開けたときは、この映像のあまりのあざとさに記事を読む気になれずすぐにスルーした。
のちに、このブログを読むようになって、ひょっとするとこのイラストは、maria龍女さんその人の作品かとも考えたが、ブログの末尾に「Template design by ◆若干廃墟◆」とあるところを見ると、どうもそうではないようだ。
何のきっかけで、再度、このブログを開けたのかはもう忘れてしまったが、龍女さんが書かれた単車同士の正面衝突事故を起こした顛末記事がおもしろく(→掲載ページ)、つい、ブログの当初に遡って読み始めたのだった。
そのすべてを、まだ読んでいるわけではないので、私の感じている龍女さんのその人となりをここに書くことはやや早計ではあるが、誤解を恐れず書くならばこうである。
龍女さんの年齢は不詳だが、ちょっと悪女っぽいところのあるアクティブな女性のようだ。まさに、中島みゆきの「悪女」を連想させる。どこかにひどく冷めたところがあって、そのくせちょっと人情家で、やや人生を斜めからみてるという印象がある。皮肉屋さんでもある。
こういう感じの女性を私は苦手だ。かといって嫌いなわけではない。むしろ一種の羨望を感じながらも声をかけることもできず、遠くの方から鳥瞰するしかないといった具合だ。
龍女さんがアルコール依存に陥った経過もすさまじければ、龍女さんのアルコール依存度もすさまじい。
結果、食道静脈溜破裂という悲惨を味わうことになるのだが、それ以来、今日まで、断酒会やAAなどの自助グループにも加わらず、独自で断酒を継続されている。本人は否定されるのだろうが、なんとも意思の強い方である。
お母さんがある精神病院の看護婦さんということもあってか、医療に関する専門知識の豊富な方で、読んでいるとその方面でも参考になる記事が多い。
■ うぬぼれるアル中の末路
最近の記事に、今、龍女さんが勤めている会社内で鉄筋溶接工場をひとつ任されているベテランの職人が、アルコール依存症により定年を待たずに自主退職(実体は解雇に近い)を余儀さくされた話がでてくる(→掲載ページ)。
「俺はこの中では天皇だからな」が口癖の自信家だったが、アルコール依存の症状がひどくなってからは、朝、起きることができずにそのたびに欠勤を繰り返すようになり、そんなこんなで部下はブチ切れ、遂には会社にも見放されての退職だったという。
龍女さんは、この記事を「そのアル中の職人さんは、誰にも見送りされることなく一人で寂しげな後姿で去っていったけど、アル中の末路なんてこんなもの」と結んでいる。
■ ある音楽教師の思い出
私は、この記事にこんなコメントを寄せた。
「確かに、考えてみると、身の周りにアルコール依存症にかかっている人って結構いますね。
私の場合も、過去も含めると両手では足りません。
小学生の頃、音楽の先生がいつも顔に生傷が絶えず、ときに授業中に泣き出したりして授業にならなかったことがあり、幼心にこれってなんなんだろうと思っていたところ、それは旦那がアル中で、夜毎夜毎、酔っ払っては音楽の先生に暴力を振るっているのだと聞かされたことがありました。
アルコール依存症は家族や周りを不幸に巻き込む厄介な病気です。
本人は事業自得としても、その職人さんに家族がいたとしたら、どんな思いだろうとつい想像してしまいます」
私が小学生低学年の頃の思い出である。私は、その頃、歌が得意で、大きな声を出して歌っていたから、よくその先生に褒めてもらった。現金なもので褒めてもらうと嬉くれ嬉しくて、音楽の時間が待ち遠しかった記憶がある。
先生の夫が何を職業にしていたのかは記憶にない。先生が顔に真新しい生傷をつけて学校にきた日には、ピアノを弾く手を止めて、突如として弦盤に突っ伏して泣き始めるということがよくあった。
幼い私たち生徒は、その意味するところがまったくわからず、皆が「またや」といった感じで顔を見合わせ、先生が落ち着くのを待つしかないのだった。
それが酒乱の夫のよる妻へのDVだったことは後日知ったことである。幸いに子どもはいなかった。
都会から離れた山村のことである、それにまだまだ女性の人権に対する意識は低い時代だった。夫の所業は村民みんなに知れ渡ってはいたが、その程度のことはよくあることと片付けられ、あまり問題にはされていなかったようだった。
しかし、遂には先生の夫のその他の所業が一線を越えて村民の反感を買い、その音楽の先生も学校にいられなくなって、2人わびしくふるさとを去っていった記憶が、私の脳裏の片隅に残っている。
龍女さんのいうように「アル中の末路なんてこんなもの」で、それは自業自得だが、それに巻き込まれる家族の悲惨は例えようがない。
家族自らが共依存に陥ることなく自立すべしとは、いうは簡単だが、いざ実践するとなると、命を懸けた戦いになることだろう。
私も家族のことを考える。そして、今こそ、この断酒を継続しなければならないと心から思う。
断酒12日目。1日断酒あるのみ。
■ 今日の弁当
今日は子らはパン飯。で、私の弁当もお休み。代わりに会社にきている仕出し屋の弁当を注文した。370円也。
最近は、弁当も安くなったね。
電子出版プラットフォーム「パブー」から、田中かわずのペンネームで、400字詰め原稿用紙で10枚程度の短編小説「桜」「みっちゃんへ」「ピヨピヨ」「ベロの辛抱」、中編小説「おばあちゃんへの贈り物」を電子出版しました。無料です。よかったら読んでね。
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