断酒日記再び(11/21 断酒会に思う)
断酒14日経過。今日は15日目。
たかが14日。されど14日。1日断酒あるのみ。
先週の11月15日は断酒1週間目で、このブログに断酒をはじめてからの体調の変化について書いた(→掲載ページ)。
これまで40年近く飲み続けてきて、たかが1週間目の断酒である。劇的に体調が好転するなどということはあらから期待はしていないが、まあ、後日の記録として書いておいたのである。
背中右側の鈍痛は相変わらずだ。むしろ、断酒前よりひどくなった気がする。肝臓は沈黙の臓器だから、肝臓自体が疼いているのではない。肝臓が腫れて周りの筋肉を刺激したり圧迫しているらしい。
断酒前より鈍痛がひどくなったと感じるのは、徐々によくなりつつある証拠だと思う。というのは、酒を飲んでいたときは、常に全身にアルコールで麻酔をかけて神経を麻痺させているような状態だったから、背中の鈍痛も感じにくくなっていたのではないかと考えられるのである。・・・最も、これは私の勝手な推測だが。
背中左側の鈍痛も相変わらずだ。手足もむくみも痺れもまだとれない。腎臓に負担がかかっているのだろう。
乳の回りも相変わらず痒い。これは明らかな肝機能障害の影響だと医学書にあった。
体がだるいのも変わらない。とにかく眠い。仕事中もついウトウトしてしまう。
尿の黄色みは改善した。
■ 劇的な改善
そうだ。劇的に改善したことが1つある。当たり前のことだが、2日酔いがなくなったこと。
飲んでいるときは、翌朝起きて、頭をズキズキいわせてトイレに入り、下痢便をしながら、「ああ、なんてことや。またのんでしもた」と頭を抱えたものだったが、それがなくなった。
汚い話で恐縮だが、下痢便といえば、飲んでいるときはときに水のような下痢をすることがあり、よく下着を汚したものだが、これはやや改善した。
もっとも、私はもともと過食症気味でメタボ(→掲載ページ)、これからはメタボ改善にも取り組む必要があるのだが、今は断酒の反作用か、酒の代わりに飲酒前よりよく食べる。食べ過ぎる。したがって、下痢便の改善はまだまだ時間がかかりそうである。
早くとぐろを巻いた硬くてきれいなウンチがしたいなあ(これを読んでる人、汚い話でごめんなさい)。
■ 断酒会
さあ、今日は断酒会。必ず出席しよう。
ところで、断酒会のあり方については、いろいろな見方、批判があるようだ。
その内容は、特に小原庄助さんのブログに詳しい。庄助さんは最新の記事(→掲載ページ)でもそのことに触れている。断酒会の老化を憂える記事である。
一部を引用する。こうある。
断酒会の会員数は長らく1万人越えといわれていましたが、2010年あたりから1万人を割り年々減少傾向にあります。2012年4月1日付け調査に至っては、7770人にまで減少しています。
アルコール依存症者の数が減少しているのではありません。
ましてや完治しない病気です。
新規患者数を死者が上回らない限り、罹患者の数は増える一方のはず。
にもかかわらず、会員数が減少するにはそれなりの理由があるのです。
この記事に、多くの方がコメントを寄せられているが、私も昨夜こんなコメントを寄せた。
浪花太郎です。
庄助さんのブログ、2007年9月まで読み進めました。
私は茨木の断酒会に入会してまだ1ヶ月しかたっていませんが、断酒会は確かにご指摘のような問題を抱えているようですね。
それに、なにか断酒会命というような体験談にはやや違和感を感じます。
でも、断酒会に出席している人は、まさに断酒会に出席することによってこそ救われているわけだから、自助組織につながらないで断酒できている人や普通の飲酒者からすれば、それってちょっと変じゃないのといわれても、彼らにとってはまさに断酒会命なんですよね。
私も、何回も断酒や節酒を試みては失敗し、今があるので、自ら断酒会命という発言をするつもりはありませんが、これからなんとか断酒会につながって断酒を継続していきたいと思っています。
庄助さんの参加されているような昼例会のスタイルの断酒会が増えるといいですね。私もそんな断酒会に出席してみたいです。
ブログ掲載の「かがり火」、私も断酒会に出席して、冊子をいただき読みました。なんとも表現が古色蒼然としていて、これじゃ、若い人は読まないだろうなと感じます(体験談は別ですが)。
どうやら、ここにも断酒会の老化が垣い間みえますねぇ。けど、こんな感想は、決して断酒会で発言するつもりはありません。
今は新参者として、ただひたすら皆さんの体験談をお聞きして、自らを奮い立たせたいと考えています。
ここに書いた「庄助さんの参加されているような昼例会」とは、断酒会旗を掲げず、毎回テーマを設けて出席者が自由に発言する(立って発言するも座って発言するもよし)スタイルの昼例会のことである。
断酒例会に出席したことのない人がこのブログを読まれていたら、ちょっとなんのことかイメージがわかないと思うので説明しておくと、通常の断酒例会は、①出席者は会場内の四角いテーブルに対面して座る。②断酒会の長老会員が司会を務め、参加者を一人づつ指名して発言を促す。③氏名された参加者はその場に立ち上がって、これまでの酒害体験を自由に発言する。という順序で進められる。
発言は言いっぱなし、聞きっぱなしで、他を批判する発言をしない。たとえ発言が誤っていると感じても批判はしない。聞いたことはその場において帰る、外部に漏らさないことを原則とする。
庄助さんは、こういう断酒例会のあり方にやや異を唱え、このままでは断酒会そのものが衰退するのではないかと憂えておられるわけである。
私は、まだ、断酒会に入会して1ヶ月そこそこであるから、上のコメントに書いたように、断酒例会のあり方論などについて発言するつもりはさらさらないが、確かに庄助さんのいわれるように断酒会はかなり老化していると感じている一人である。
断酒会の教えに、断酒に成功した者は新しく生まれ変わって、社会に奉仕しなければならないというのがある。断酒新生といわれる。
この奉仕という言葉には、戦後世代の私にはやや抵抗がある。何か天皇陛下、お国への滅私奉公を思わせる。「社会貢献」といいかえればいいのにと思う。
ことほど左様に(この表現も古臭いなあ)、例えば、断酒会の機関誌「かがり火」の文章にしても、なにか戦後まもなく書かれた文章ではないかと思えるほど古臭くて、しかも論文調で読みづらい。
これじゃ、若い層が断酒会を敬遠するのも仕方ないことかもしれないなあと思う。
しかし、こんな感想はこのブログに書くだけである。断酒例会で発言するつもりはない。
今は、なんとか例会につながって断酒を継続したい。これあるのみである。
■ 3という数字
再度、ところで。
上記庄助さんのブログにいつもコメントを寄せられている(寄せられていたというほうが正確か)happyさんという人がいる。
どうやら、夫婦してアルコール依存で、夫婦して断酒会に通われているらしい。
その方のコメントが、いつも的確で慈愛に満ちていて、納得させられる。
昨日読んだそのhappyさんのコメント(2007円9月1日記事のコメント→掲載ページ )にこういうのがあった。
断酒には3という数字がいろんな意味で大きな数字。飲みたくなったらまず30分我慢、そして3日、3週間、3ヶ月、3年と。
3年止めている人が、その山を越えられずに再入院ということも、昨日の例会で話がありました。
精神科の先生も、3ヶ月前後というのが、断酒や鬱に関しても波があるといっていました。
shyusukeさんの場合も3ヶ月達成からの山かも知れないですね。と、医者ではないので勝手なことはいえないんですが。
読んでみて、なるほどと思ったので引用した。
3週間。私の場合、来週だなあ。それまで1日断酒あるのみ。
■ 花壇
今週は、これまで弁当お休み。家庭でいろいろおまんねん。
私は、会社にチャリンコで40分かけて通勤しているのだが、その途上、美容室を経営している人が、道路脇に花壇をつくって、四季折々の草花を育て、行きかう人々の目を楽しませてくれている。
ちょっと冬枯れがはじまっているが、パシャっと1枚。
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