断酒日記再び(11/23 母ちゃん)
母ちゃんに電話をしなくなって、もう何ヶ月が経つでしょう。もう1年近くになるでしょうか。
電話はしたいけれど、どうしてもその勇気がないのです。電話をして母ちゃんの声を聞いたら、涙声になるのが恐いのです。悲しい思いをさせるのが恐いのです。
母ちゃんのそばには姉ちゃんがいるから、僕は姉ちゃんに甘えてすべてを頼りきっています。なんと薄情な息子、弟だろうと思っていることでしょうね。
確かに、僕は母ちゃんの誕生日も、正確な年齢も血液型もなにも知りません。
妻から尋ねられても答えられなくて、妻にもなんて人情味のない冷たい人なのといつもいわれます。なぜ、お母さんに電話しないのといつも責められます。
母ちゃん、生きていますか。元気ですか。
小さい頃、風邪で寝込んで天井ばかり見て過ごしていたとき、障子越しに母ちゃんが誰か近所の人と話をしていて、コトコト笑っているのを聞いた記憶が蘇ります。
僕はその声を聞いて、なんとも嬉しくて仕方がなく、布団の中で何度も何度も「母ちゃん、母ちゃん」と小さく呼びかけたのでした。
母ちゃんのそんなコトコト笑う笑顔が好きでした。
高校生のときに憧れた同級生が母ちゃんによく似ていたことを思い出します。彼女のコトコト笑うその笑顔がとても母ちゃんに似てたのです。
母ちゃん、生きていますか。どうしてますか。
僕はきっと母ちゃん子だったんでしょうね。小学校高学年まで、母ちゃんと一緒にお風呂に入っていて、それを母ちゃんがやめさせようと僕を一人でお風呂に入れたとき、僕はてっきり母ちゃんに見捨てられたと勘違いし大泣きに泣きました。
あれは、このままでは僕が自立できないという母心だったんですね。
母ちゃん、生きていますか。元気ですか。
母ちゃんの作る料理が好きでした。中でも菜飯の味は今でも忘れられません。
あれは芝えびの皮をむいて、その皮でだしをとって酢飯を作り、大根葉を湯がいてみじんに切って、芝えびと大根葉を酢飯の中に混ぜ込むだけのシンプルな散らし寿司でした。
酢の匂いがプーンと立ってとても旨かった。
大きな大きなぼたもちの味も忘れることができません。口の回りを真っ黒にしてかぶりついたものでした。
それに柏餅。裏山から僕がもいできた柏の葉にあんこの一杯詰まった柏餅を包んで籠の中に入れていましたね。
食い意地の張った僕が、あんまりたくさん食べるものだから、僕が取れないようにその籠を天井に吊るしていましたね。
母ちゃん、生きてますか、元気ですか。
母ちゃんの作るカレーも大好きでした。
カレーのルーはいつもバーモントカレーでしたね。
今では考えもできないけれど、あの頃は、鯨の冷凍肉が1番安かったから、よくカレーの中に鯨の肉を入れてくれましたね。
肉がないときは品の悪いソーセージで、カレーの中で煮込むと、膨張してカレーの表面にプカプカ浮かんできたけど、それでもおいしかった。
何杯も何杯もおかわりしましたね。
小芋の田楽もおいしかった。麦味噌に少々の砂糖と酒を足して、そこに小口切りにしたねぎを混ぜ込み、ホクホクに炊き上がった小芋にまぶして食べると、何か、体の芯まで母ちゃんの優しさに包まれるようでした。本当にうまかった。
母さん、生きていますか。どうしてますか。
あれは僕が小学校低学年の頃のことでした。
アルコール依存症の父ちゃんが酒に酔って、母ちゃんに手を上げたことがありました。
ぶたれた母ちゃんは、貧しさと日頃の父ちゃんへの不満から、「もう、この家にはいられない。実家に帰らせていただきます」そういって、荷造りをはじめたのでしたね。
僕は、それが悲しくて不安で辛くて、母ちゃんに「母ちゃん、いかんといて、いかんといて」と泣きすがったのでした。あれは本当に悲しい思い出です。
母ちゃんには、一杯、一杯、優しい愛情を注いでもらったのに、そんな思い出よりもはるかに鮮烈に僕の心の中に深く刻み込まれています。それに、夜毎、夜毎、飲んだくれて帰ってきた父ちゃんと母ちゃんのいさかいも。
いつだったか、姉さんに、「おまえはふるさとや母ちゃんのことについて、悲しい思い出ばかりをエッセイに書くから、それを読んだ母ちゃんが、この子にはあんなに愛情を注いで育てたつもりじゃったのに、なんでこんな悲しい思い出ばかり書くんじゃろ」と悲しんでるよと聞かされたことがありました。
それはね、母ちゃん、違うんです。今にして思えば、僕はそんな悲しい思い出を書くことで、より一層、母ちゃんへの想いを深めようとしていただけなんですよ。
母ちゃん、生きていますか。元気ですか。
室生犀星はふるさとのことをこう詠んでいます。
ふるさとは遠くにありておもうもの
そして悲しくうたうもの
よしやうらびれて井戸の乞食(かたい)となりとても
帰るところにあるまじや
この詩(うた)が私の心を刺し貫きます。
父ちゃんと母ちゃんが農協の借金で首が回らず、田舎を捨てたとき、僕はなんにもしてあげれませんでした。
長男の僕が、もし、田舎に帰って父ちゃんを継いだなら、農協もあんな督促をすることはなかったのに、僕は帰ろうとはしませんでした。
そんな僕を、父ちゃんも母ちゃんも許してくれました。
父ちゃんと母ちゃんがふるさとを捨てる決心をした親族会議は、僕にとっては針の筵で、その会議が終わって、僕は裏山に上り、一人でオイオイ泣いたことを、昨日のことのように思い出します。
母さん、元気ですか、生きていますか。
僕にはもう帰るふるさとはありません。父ちゃんが死んだ今、母ちゃんだけがふるさとです。
そんな母ちゃんにも1年間近くも連絡をしないなんて。なんと親不孝な息子なんでしょう。それでも、僕には電話はできません。
母ちゃん、生きていますか。寒くはないですか。
中学校を卒業して、集団就職で松山に出、夜間高校に通い始めた僕は、母ちゃんが恋しくて恋しくてたまりませんでした。
飲んだくれた父ちゃんと母ちゃんのいさかいを見るのは嫌だったから、田舎に帰ろうとは思わなかったけれど、母ちゃんのことを思って、何回、枕を濡らしたかわかりません。
辛いとき、寂しいとき、しんどいときには、いつも心の中で「母ちゃん、助けて。母ちゃん、母ちゃん」とつぶやく僕がいました。
公害に汚れた空気を吸って、毎日のように頭をズキズキいわせていた僕は、夕焼けに真っ赤に焼け爛れたスモッグの中で、何度、母ちゃんを思い泣いたか知れません。
カラオケで歌う歌は決まってさだまさしの案山子で、それでも歌詞が涙に曇り、最後まで歌い通すことはできませんでした。
母ちゃん、元気ですか。生きてますか。
あんなにまねはしないと誓っていたのに、母ちゃん、僕も父ちゃんと同じくアルコール依存症になってしまいました。
子らの前で酒を飲んで妻と諍いを繰り返すようになってしまいました。
妻に隠れて酒を飲み、借金を作って酒を飲むようになってしまいました。
健康診断で肝機能障害を指摘されて、病院で精密検査をしなければいけないといわれているのに、入院が恐くて病院にもいかず、酒を飲み続けています。
子らは、まだ高校生で、これからもっともっとお金がいるというのに、それから逃げるようにして酒を飲んでいます。
背中がチリチリ疼いて、手足がむくみ、黄色い小便が出始めているというのに、酒を飲み続けています。
もう、どうしようもなくなったら、淀川にでもこの身を沈めればいいなどという手前勝手なことを考えて借金を重ね、酒を飲んでいます。
母ちゃん、生きていますか、どうしてますか。
そんなこんなを考えると、僕はどうしても母ちゃんに電話ができないのです。
母ちゃんの声は聞きたいけれど、受話器口で涙声になるのが恐いのです。
けれども、僕は、ちょっとだけ出口のようなものを見つけました。
父ちゃんがそうして救われた断酒会につながったのです。
アルコール依存症の父ちゃんが、酒を飲んで「天井に虫が這ってる」などといいだしはじめ、母ちゃんや姉ちゃんが、「もうこれはアルコール専門病院に入れるしかない」と相談し始めた頃、父ちゃんは何を思ったか、卒然と断酒会に入会したんですよね。
きっと、父ちゃんも辛かったんでしょう。
やめよう、やめよう、そう何度も思い、断酒も重ねたことでしょう。
でもやめることができなかった。アルコール依存症はそんな病気なんです。
父ちゃんは、断酒会につながってからは、一生、アルコールを口にすることはありませんでした。
母ちゃん、生きてますか、元気ですか。
僕は父ちゃんの子どもです。
父ちゃんにできて僕にできないはずがありません。
こうして、やっと、断酒会につながったことを、これから大事にします。
しがみついていきます。
きっとアルコールをやめてみせます。
アルコールでつくった借金のことも、今は出口はないけれど、断酒を継続する中で、解決策を探し求めます。
そして、僕は明るい声で母ちゃんに電話できる日を作ってみせます。
母ちゃん、元気ですか。生きてますか。
まぶたを閉じれば、あのコトコト笑う母ちゃんの笑顔が浮かんできます。
母ちゃん、いつまでも元気でいてください。
「一郎、そんなことでどうする。おまえには、まだ小さい子どももいてる。もっとしっかりせにゃあ」そういって、僕を叱りつけてください。
きっと僕も頑張り通してみせましょう。
そしたら、きっと、電話をします。
僕は母ちゃんの息子です。
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