断酒日記再び(11/28) 4回目の断酒例会)
yamadagagaさんの断酒ブログ「yamadagagaのブログ」は、アルコールに関する博識に加えて、その辛口トークが魅力で、私は庄助さんのブログとともによく覗きにいきます。
そのyamadagagaさんから、昨日のカレーの話にこんなコメントをいただきました。
「鯨肉で思いだしましたが、小学校の給食では鯨のカツが多かったですね。肉らしいものが食べれる嬉しさで一杯でした。ただ、筋があって歯で食いちぎるのに難儀してました。
カレーはオリエンタルカレーでした。宣伝カーが村役場に来たことを覚えています」
yamadagagaさんと私は同年配。
ホンマですねえ。鯨のカツ、懐かしい! 確かに筋が太くていつまでもガムみたいに噛み噛みしたものです。
そんなことを思い出していると、あの鯨特有の味が口中に広がってきました。今度、弁当に鯨肉のカツをいれてみることにしましょう。子らが何というやら・・・。
なるほど、カレーのルーは「オリエンタル」ですか。ところ変われば・・・というやつですね。私はあの頃のカレーのルーといえば、日本国中、ハウスバーモントカレーで、その中にちょっとジャワカレーやインドカレーが混じっている程度かと思っていました。
■ カレーと私の恋
私は中学校を卒業すると、今は死語となった集団就職で松山市の印刷会社に勤める傍ら、夜間高校に通ったのですが、高校4年生のとき、八幡浜市の高校から転校してきたYさんに恋をしました。
Yさんも私のことを心憎からず思ってくれていて、一度だけ、私のアパートに遊びにきてくれたことがありました。
まったくおぼこかった私は、部屋の中でYさんの手を握りしめるだけに終わったのでしたが、あのとき、Yさんとキスでもしていれば一生の宝物になったに違いないと、今でも返す返すも残念に思います。
そのとき、私がYさんに出したのがカレーでした。そのカレーも、何日も何日も水とルーを足してスープのようになった中にソーセージがプカプカ浮いているやつで、Yさんはどんなつもりでそれを食べたか。思い出すたびに切ないものがあります。
Yさんとの仲がそれ以上進展しなかったのは、あのカレーにあったのではないかと考えるのは、ちょっと考えすぎかな。
どうもカレーのこととなるといけません。話があちこちに飛んでそこで停滞してしまいます。カレーの話はこの辺にして、話を先に進めましょう。
■ 4回目の断酒会
昨日は断酒22日目。たかが22日、されど22日。
飲酒欲求は相変わらずです。特に仕事帰りがいけません。午後5時過ぎになると、通勤途上のあちこちで居酒屋の灯がともり、店頭の暖簾が風に揺れ始めます。
断酒前は、この時刻、阪急総持寺駅前の立ち呑み屋で、おでんか何かの当てを1品とり、ビール大瓶1本、焼酎の水割りかお湯割りを1杯、のど奥に流し込んで、家路に着くのが日課のようなものでした。
暖簾を見ると、ああ、飲みてえなあ、ああ、飲みてえなあと体が疼きます。
庄助さんのブログに、いつも誠実で的確なコメントを寄せられているhappyさんが書かれていましたが、断酒にとって3のつく日々が1つの切所というのは本当かもしれません(→掲載ページ )。
3日、3週間、30日、3ヶ月、3年・・・。
私の場合は3週間目。この頃、(俺って大丈夫やないの? これだけ断酒できるんやから依存症やないんやないの ? ちょっと飲んでも、また断酒できるんやないの?)そんな思いが、心の奥底で頭をもたげてきているのを感じます。
これは、飲酒時の体や心の苦痛が薄らぎはじめ、体調も好転しはじめた結果なのでしょうが、この思いに飲み会やストレスなどが触媒となって作用して、再飲酒ははじまるのだろうと思います。桑原、桑原です。
今が断酒3日目に続く断酒の切所と心得て、1日断酒あるのみ。頑張ります。
暖簾には罪はありませんが、(バカタレ。おまえんとこに入ってなぞやるもんか。ザマー見さらせ)などと悪態をつきながら、居酒屋の前を通り過ぎることにしましょう。
で、昨日の断酒例会。
■ 4回目の断酒例会
今回は、1週間ごとに開かれる4回目の断酒例会への出席です。
1回目は出席した後4日後に再飲酒し、そのためもあって次の週は敷居が高くて参加せず、その次の週に再断酒を誓って出席、昨日が4回目の出席になります。
先週は支部会員とアルコール専門病院入院中の患者さんや他支部からの参加者で、40人近くが出席して大盛会でしたが、昨日は30人程度の出席者でした。
ただ、これまでは酒害者の家族の参加はお一人でしたが、昨日は4名も出席されていました。
断酒例会は、言いっぱなし、聞きっぱなしが原則ですから、いつものように司会者から順番に指名を受けて出席者が体験談を語ります。
私は、父もアルコール依存症にかかっていたこと、母や姉が「これはアルコール専門病院に入院させなければどうしようもない」と話し始めるようになってから、自ら断酒会に出席しはじめ、それから死ぬまでの20数年間、一滴のアルコールも口にしなかったこと、私も父の子ですから、父と同じように断酒が継続できるはずだ、そうしようと思っているということを話しました。
昨日の断酒例会の体験談も、皆さん、何気ない風に話されていました。
断酒会へのつながりと今の平安、ときの経過が、参加者をして穏やかな口ぶりにしているのでしょうが、冷静にその内容を反芻してみると、なんともむごく、過酷な内容ばかりです。
ある酒害者の奥さんの話。
夫がアルコール依存症にかかり入退院を繰り返して、それでも夫の連続飲酒は止まりませんでした。遂には家庭崩壊。奥さんも思い余って、夫が病院で処方された睡眠薬を多量に飲んで自殺未遂を図ったといいます。
夫は夫で、何を思ったか、連続飲酒中に腹に包丁を突き立てて死出の旅路に出ようとしますが、幸い一命を取りとめたそうです。
それから、やっと2人して断酒会へのつながりを得て今がある、そんなことを淡々と話されていました。
まさに一歩間違えば惨劇です。
■ 断酒例会に感じること
断酒例会に出席し体験談を聞いていて、私がいつも感じていることを書いておきます。
それは、私の酒害体験が皆さんの経験されたその域までは達していないということです。
確かに、毎日のようにアルコールを飲み(それも借金を重ねて飲むようになり)、土、日などの休みの日には朝から飲むようになっていましたから、底をつきはじめようとしていたことは疑いようがありませんが、ブラックアウトや手の震え、寝汗、幻覚幻聴といった禁断症状や、家庭での家族への暴力などはまだ始まってはいません。
断酒を継続している元酒害者の多くは、酒害による底つき経験こそが断酒を継続する力になっているといわれます。もう2度とあのような経験はしたくないという強い思いが、再飲酒への抑止力になっているというわけです。
そこまでの経験のない私に、まだ飲酒時のあの辛さが残っている今は可能であるにしても、それを越えてこれから死ぬまで数十年の(生きられたらの話ですが)断酒が実践できるだろうか。
これは私に課せられたこれからの大きな課題です。
私は、その回答の一端は、断酒例会に出席されている、ある断酒歴8年の人の体験談の中に見出すことができると思っています。
その人も、私と同じように、アルコール依存症の自覚はありますが、依存症に特有な底つき体験はされていません。それでも断酒を8年も続けておられます。
その人はいわれました。
「底つき体験がないからといって断酒が継続できないわけではありません。それは人それぞれです。底につかない間に飲酒の恐ろしさが自覚できれば、それが断酒の動機として十分だし、それこそが幸いです。その幸いをこれからも続けよう、私はそう考えて断酒を継続してきました」
私も、これから、この人と同じ思いで断酒会につながっていたいと思っています。
私は、底をついた酒害者の体験談を、それが将来の自分にも起こりえるであろう自覚をもって、(俺も飲み続けていたら必ずそうなる。そうならないためには断酒を継続するしかない)と自分に言い聞かせながら聞き続けよう、そのようにして断酒会とつながっていようと、今のところは考えています。
■ 今日の弁当
塩鯖は焼いただけ。ピーマンは、昨日は炒めてかつおぶしをまぶしましたが(→掲載ページ)、今日は、砂糖を多めに振って甘く炒め、最後に醤油をからめました。
◇ ウィンナー、もやし炒り卵、大根とかにかまの甘酢漬け
ウィンナーは炒めただけ。卵を溶いた中にもやしを入れて塩こしょうし、炒り卵に。大根は千切りにしてかにかまと合わせ、寿司酢で和えました。子らは酢の物がキライ。もう2度と弁当には入れんといて!とクレームがあるかも?
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