横山やすしとアルコール依存症
◇ 肝臓がん
昨日は断酒35日目。たかが35日、されど35日。1日断酒あるのみ。
断酒を始めて5回目の断酒例会出席である。
昨日の例会では悲しい知らせが2人の方からあった。
例会の会場は、テーブルが長方形に並べられていて、出席者が対面する形で座るのだが、今日に限って、その人は長方形のテーブルではなく、会場の後ろの方に並べられているテーブルに座っていたので、私も何か変だなとは思っていた。
例会がはじまり、司会者が「Aさんは、今日はすぐに退席されるので、まず最初にAさんから体験談をお話ししていただきます」といった。それで、Aさんがみんなと離れた場所に座っているわけがわかったのだったが、そのAさんの話の概略はこうである。
今日、医者に肝臓がんであること、余命1年いくばくであることを告げられた。死ぬことは恐くはない。けれども、家族のことがあり、私の今後のことがある。気持ちの整理がついていないので、今日はこのまま退席させていただく。例会にはこれからも出席させてもらおうと思っている。
たんたんと話されるその口調に悲壮感はない。しかし、医者がそういうのだから間違いないだろうとなんども繰り返されたその言葉に、まだ納得できていない、なんとか心から自身を納得させてこの事実を受け入れなければならないという思いが滲んでいた。
Aさんはまだ50歳前後と見える。よくいっていても50歳半ばだろう。その若さでこれから1年あまりの間、死と体面しなければならないのである。まさに人生は過酷である。
◇ 再飲酒
もう一人はBさん。
昨日、Bさんが例会にこられたのは、例会の後半の半ばあたりだった。先週の例会では、断酒4週間目であること。これから12月の忘年会シーズンが始まるから心しなければならないと思っていることなどの思いを話された。
私も、先週がBさんと同じく断酒4週目、ほぼ1ヶ月だったから、まだ言葉を交わしたことはなかったが、なんとなくBさんに親近感を抱いていて、機会があったら話しかけたいものだと思っていた。
昨日は遅れてこられたので、Bさんの体験談は最後になった。指名され立ち上がるとややふらついている。酔っているのだ。Bさんは話された。
つい飲んでしまいました。昨日のことです。友達に誘われて飲んでしまいました。飲むまい飲むまいと心に決めていたのに、体がいうことをきかなかったのです。
今朝も昼近くまで飲みました。友達が帰ってから眠ってしまって、今日は必ずこの断酒会にこようと思っていたのに寝入ったまま起きることができませんでした。
まだ呂律も回っていない。
断酒会に出席できる義理ではないことはわかっています。わかってるんです。酒を止めたいんです。でもだめなんです。飲んでしまいました。でも止めたいんです。この会に出席できる義理ではないことはわかっていますが、きてしまいました。
あとは嗚咽である。
苦しいだろうなあと思う。私だったら、とてもこの状態でこの会に出席できないだろうとも思う。その点ではAさんはえらいなあと思う。
その一方で、庄助さんのブログの記事が私の脳裏を掠めた。最新記事のタイトルは「仲間」である(→掲載ページ)。
なぜ、この記事が頭を掠めたかについてはここには書くまい。時間の経過が真実を教えてくれることだろう。
■ 横山やすしとアルコール依存症
断酒例会には、支部会員だけではなく、他支部会員やアルコール専門病院の入院患者も毎回何人か出席する。
昨日は、アルコール専門病院から2人、他支部から3人出席されていた。
その中でアルコール専門病院に入院して1ヶ月余りの患者さんが、飲酒していた頃の思い出を話された。
呑み屋で偶然出くわした漫才師のいくよくるよさんに「このドブス」と悪態をついたり、山口組系暴力団の黒塗りのアメ車の天井をトランポリン代わりにしたなどという“武勇談”である。
それで私も思い出したことがある。
大阪の京橋を根城にして飲んでいた頃、今から14、5年前のことである。京橋繁華街のちょっと外れたところに、スナック「P」があった。
奄美大島出身で、京都の「都をどり」を踊ったこともあるかわいいママさんが経営する、7~8人がカウンターに座れば満杯になる小体な店で、私は飲み友達と居酒屋などで飲んだ後、よく「P」に流れた。
ある日のことである。いつものように居酒屋かどこかで飲んで、カラオケをやろうということになって、友達2人とPにいった。
店には客はだれもいなかった。友達2人との貸切状態である。ママを相手にしながらいい調子で歌を歌っていると、やや顔を隠すようにして2人連れが店に入ってきて、年かさの男が1番奥のカウンターに座り、手前に若い男が座った。
奥のカウンターに座ったのが、あのやっさんこと横山やすしだった。何かひどく白っぽい顔をしていたように記憶している。
私も友達もしばらくしてそのことに気づいたが、素知らない風で演歌を歌っていると、やわら、やっさんが、私に向かって「その歌はそういう風に歌うんやない。こう歌うんや」と一節歌った後、「俺が誰か知ってるやろ。俺はあの演歌歌手の○○も教えてるんやで。もう1回、そこんとこ歌ってみい。教えたるから」そう言った。
私もそれを受けて、殊勝に「ほなら教えてください」と答え返し、もう1度同じ歌を歌い始めると、やっさんが、「そうやない。このど下手。もうやめてまえ!」と大声で怒鳴ってきた。
これには私も頭にきた。「なんや、人に教えたるいうといて、その言い草はないやろ。一体、何様のつもりや!」そう切り返すと、やっさんは立ち上がりかけたが、マネージャーとおぼしき若い男が間に入って仲をとりなし、ママも私に外に出るよう目配せをしてきたので、私たちは「気分悪いなあ。ホンマに。ママ、もう帰るわ」と捨て台詞を吐いて、店を後にしたのだった。
後日、ママに、「やっさんはあのようにして梅田の呑み屋を荒らし京橋に流れてきたが、京橋でもどの店にいってもあの調子で客とトラブルを起こし、もうどこも相手にする店はない」と聞かされた。
やや暗い店内で白っぽく見えていたあの顔は、白日の下では土気色をしていたことだろうと思う。あの頃、やっさんは心も体もアルコールに侵されていたのである。
その後、風の会だかなんだかから参議院選挙にうって出るも落選、吉本興業や漫才仲間からもその奇矯な言動に愛想をつかされ、失意のうちに、稀代の天才はこの世を去った。51歳だった。死因はアルコール性肝硬変。死んだ日も朝からビールを飲んでいたという。やっさんは完全なアルコール依存症だったのである。
■ 私の体験談
昨日、私は、断酒を始めてから口寂しくやけに甘いものが食べたいこと、このままだとアルコールはやめることができても、境界型の糖尿病が本物の糖尿病になってしまいかねないこと、そろそろ断酒に続いてダイエットに取り組まなければならないと考えていることなどを話した。
また、7年前に東京で一人暮らしをしていた弟がクモ膜下出血で死んだこと、死因は出血死だが、その原因は不規則な生活とアルコールの多飲にあっただろうことも話した。
■ 家族の話
依存症の夫を持つ妻で、いつも断酒例会にこられている方がいる。はっきりはおっしゃらないが、今は夫と別居か離婚されているようだ。
依存者本人の体験談より家族の体験談の方が、聞いていてこの身にこたえる。
昨日、この方は、夫と同居していた頃の夫婦喧嘩の話をされた。最初は口げんかだったがだんだん昂じてきて、遂には夫が手を上げるようになった。
喧嘩の末に首の辺りを強打されたとき、夫の暴力の証拠を残すといって、高校2年生の娘に赤くできたあざを写真に取らせたこと、子どもも交えた親子喧嘩を録音させたことなどの思い出を話され、あの頃は頭に血が上っていたからああいうことをしてしまったが、娘にはほんとに罪なことをさせてしまった、嫌な思い出を残してしまったとしみじみ話された。
私は、まだ、酔って妻や子に手をあげたことはないが、妻に隠している、飲酒するために作った多額の借金のことを思い、これから起こるかもしれない、いや起こるだろう妻との確執や家族との亀裂を思い、これらの話を心の中で妻子に手を合わせながら聞いた。
昨日は、Aさん、Bさん、そして家族の話に加え、やっさんとのことなどあれこれが思い出されて、なんとなくやるせない断酒例会だった。
■ 今日の弁当
今日も子らは期末試験で弁当はいらない。で、私も今日は、350円の仕出し弁当である。
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