アルコール依存な人たち(X社長)
昨日で断酒37日達成。たかが37日、されど37日。1日断酒あるのみ。
飲酒欲求が波状攻撃をしかけてくる。断酒20日辺りからやや弱まってきたかに見えたが、30日を超えた辺りから、またしても飲酒欲求が強まってきた。
飲みたいなあと思う。今だったらちょっと飲んでも大丈夫じゃないか。俺は底つきまでいってない。再飲酒しても、また、断酒できるのではないかなどと振り子は振れる。
しかし、そんな風にして、これまでも何度も断酒を誓っては再飲酒してきたのではなかったか。ここは耐えどきだぞ、太郎。
先週の断酒会で、おまえと同じ1ヶ月断酒で、遂に再飲酒して泣いていたあの人の後悔を思え。頑張れ、太郎。
■ 住宅の強制執行
滞納住宅の強制執行は、効率をあげるために、1日のうちに数軒行うことが多かった。ときには夜明けから午後3時頃までに7、8軒行うこともあった。
まず、X社長は、強制執行前日に、西成のあいりん地区で、当時、貫太郎と呼ばれていた人足頭に人足の手配をさせる。
貫太郎さんは、X社長から命じられた人数の人足を集め、強制執行当日の早朝、西成職業安定所の前でX社長が手配したワゴン車に乗り込み、現場に向かうのである。
現場では、執行官とX社長、そして行政の担当者である私が待機していて、貫太郎さんたちが到着すると皆んなして住宅内に強制的に入る。
そして、執行官が執行宣言をし、貫太郎さんたち人足が住宅内の家財道具をすべて外に運び出すのだった。
人足たちの仕事は荒っぽい。小1時間もすれば住宅は空っぽになり、早々に次の現場に向かう。こうして1日のうちに何軒もの強制執行を行なうのである。
もちろん、住宅に誰かが住んでいるときは、相手もおとなしくしてはいない。なんとか数日内には滞納額を支払うから強制執行だけは待ってくれと、涙ながらに懇願する滞納者も多かった。
しかし、もう何十ヶ月の滞納である。強制執行までには何度も何度も督促を繰り返し、分割の約束も交わしては破られ、もう取りうる手段は十分に尽くしている。
執行の前日には、まだ住んでいる家があれば、X社長が各住宅を回って、本当に今度は強制執行しますよと告げて回っていた。
その上での強制執行である。執行官が執行開始宣言をすれば、もう誰にも止められない。
■ 夫に内緒で
もっともやりきれなかったのは、妻が夫に家賃の滞納を隠しているケースだった。
妻にしてみれば、公営住宅ではあるし、これまで滞納していても行政は何もしてこなかったのだから、本当に強制執行にくるなどとは思ってもいない。行政がそんな悪どいことはしないとタカをくくっている。
だから、強制執行当日も、住宅内の風景はいつもの通りである。家族でテーブルを囲んで朝食を食べている。
そこに突如として執行官が乗り込んで執行宣言をし、有無をいわせず強制執行をはじめるのである。
夫にしたら何がどうしたのかさっぱりわからない。妻に問いただしても泣いてばかりだ。
そうなると、まさにそこは修羅場と化した。夫を泣きじゃくる妻に詰め寄り、らちがあかないと見ると、行政の責任者である私を非難し、その非難が哀願に変わる。
それでも聞き入れられないと知るや、この住宅は誰にも渡さないと包丁を手にして振り回す者もいた。
夫が競馬や競輪、パチンコなどのギャンブルにはまって、家賃を支払うことができない。妻は子らの手を引いて親元や親戚をたよるしかないといったケースもあった。
鍵をこじ開けて家の中に入ると何か異臭がする。奥の部屋に入ると電気コードを首に巻きつけた死体を発見したこともある。
「あんたらは鬼か」と胸をつかまれ、泣き崩れられたことも何度かあった。
やるせない仕事ではあった。終われば飲まずにはいられなかった。
■ 強制執行が終われば
強制執行は、早朝に始まって早いときには昼までに、遅くとも3時には終わった。
強制執行を終えると食事である。その食事は決まって焼肉だった。
人足に金を支払い、X社長、勘太郎さん、私の3人でビールを飲みながら焼肉を食べるのである。
X社長は、ポケットにウィスキーの瓶を忍ばせて、朝からチビリチビリと飲っていたが、ここからは本格的な酒になった。
焼肉が終われば、私は職場の滞納整理班の同僚に電話をかけて誘い、X社長は京橋のマンションに住まわせている愛人を呼んで、京橋のスナック「P」にくり出して、どんちゃん騒ぎをするのである。
強制執行の日はそうでもしなければ耐えられない気がしたのだった。
X社長は、スナック「P」で卑猥な冗談を繰り返してママの顰蹙をかいながらへべれけになるまで飲み、最後には、私と同僚でX社長と愛人をタクシーに詰め込んでマンションに送り届けるのである。
私はこの仕事に5年間従事して後、希望して転勤した。このような仕事に慣れてしまうのが怖かったのである。
だから、転勤後にも何度かX社長や元同僚から宴会の誘いがあったが、何かと理由をつけていかなかった。
社長が死んだと聞かされたのはその数年後のことである。やっさんと同じアルコール性肝硬変だった。葬式には愛人ではなく本妻がきていたがなんとも寂しい葬式だった。
X社長は60歳は過ぎていたか。確かな記憶はない。アル中らしいといえばアル中らしい最後ではあった。
そのX社長の愛人もアルコール依存症に悩んでいた時期がある。次はそのことを書き残しておこう。
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