アルコール依存な人たち(2人の先輩)
今日は12月18日(火)。断酒41日目。飲酒欲求は相変わらずだ。
昨日で断酒40日達成。たかが40日、されど40日。1日断酒あるのみ。
■ 2人の同僚
私が若かりし頃、ある自治体で公営住宅の滞納整理を担当していたことは以前の記事に書いた(→掲載ページ)。
滞納整理班には私以外に2人の先輩がいて、行政区域内を3分割し、各々の担当区域内の滞納整理に従事していた。
私はこの2人の先輩と妙に気があって、仕事が終わると毎日のように役所近くの安酒場で焼酎を飲んだ。
3人で焼酎5合瓶1本を飲みきったら、その日はお開きにするという具合だった。3人ともまだ独身で、安月給のほとんどすべてを酒に費やしていたのである。
そういう生活が3年続いた。
生まれもってアルコール依存症の者はいない。どこかの時点でそうなりはじめる。思い起こせば、あの頃が適正飲酒からアルコール依存へと転げ落ち始めたときだったと思い当たる時期が誰にもあるに違いない。
私にとっては、この時期がそれに当たる。この頃から明らかに適正飲酒ができなくなりはじめていた。
■ 腺病質だったSさん
先輩の1人、Sさんは、中肉中背の体躯の上に小さく長細い頭をちょこんと乗せて、なんとなくこけしを連想させるような人だった。
当時、30歳の半ばだったが、もう既に頭が禿げ上がっていて、年よりは10歳は老けて見えた。胃腸を悪くしていたせいで胃臭がひどかった。
Sさんと話すときは、なるべく顔を近づけないようにしたが、小さな声でボソボソ話されるので、それでは話がよく聞き取れないジレンマに皆が悩んでいた。
腺病質なたちで、若いときにはしばらく躁鬱症で職場を休んだこともある。
世間を斜めから見る癖があって、そうして作り上げてきた自分の人生観、世界観を尺度に人を鼻で笑うようなところがあった。それがときに人の反感を買うのだった。
反面、人情家で、ちょっとした美談や人情話にすぐ涙するところがあった。相反しながら自分の中に同居している世間への反発と順応をちょっと持て余しているという感じだった。
■ グチりのHさん
もう一人の先輩、HさんもSさんと同じ歳で、ずんぐりむっくりした体つきだった。
Sさんとは対象的に磊落な物言いをする人で、若い頃は、男前でならしたらしいのだが、スナックに勤めていたホステスに惚れこんで同棲し、その女性に逃げられた記憶がトラウマになっていて、女性に対する猜疑心はもはや偏見に近かった。
グチリのHと言われるぐらい何に対してもグチグチグチグチ、グチって、気持ちが高ぶってくると、話の語尾に、ホンマ、しょうもないと言うフレーズをつけて話すのが癖だった。こんな具合である。
「なんや昨日の執行は! ホンマにどたまにくる。おい、太郎、聞いてんのか、こら! 課長もたいがいやけど、昨日のうちの班長の発言、あれは何や。しゃべるんやったら、もうちょっとはきはき喋らんかい。ホンマにしょうもない。ほんで、うちのアルバイト、ありゃ何や。一体誰が雇うたんや。46時中、隣の梅ちゃんとべちゃべちゃべちゃべちゃ、くっちゃべって。うるさい言うたらない。これやから女はダメなんや。ホンマにしょうもない」
「Hさん、もうええやん。Hさんの気持ちはみんなようわかってる。それぐらいにして、さあ、もう1杯ぐっといこ」
「太郎はそう言うけどな。悔しいやないか。わしらがこんなに苦労してんのに、隣の係はあれは何や。鐘がなった途端にすぐ帰ってしもて。カラスが鳴くから帰りましょうは歌だけにせえ。特に女子職員は鐘が鳴る前から更衣室で着替えて準備万端、鳴った途端にはいサヨナラや。ホンマ、どたまにくるな。ホンマにしょうもない」
そんな2人と、私は仕事が終われば安酒場に直行したのだったが、安酒場での3人の話もそのほとんどが仕事のことだったような気がする。要は場所が仕事場から安酒場に変わっただけのことである。
強制執行の日は、その安酒場が焼肉屋かどこそこの居酒屋、そして京橋のスナックPに代わったのだった。
本当に、今、思い起こせばあの頃はよく飲んだと思う。アルコール依存症になるために飲んでいるようなものだった。
職場が代わってからは、H先輩、S先輩とも交流が途絶えた(いや、意図的に交流しなかったという方が正確かもしれない。あの頃は、強制執行の仕事が5年を経過し、私の中で住宅の強制執行の臭いが感じられる場所や人とは一切会いたくないという思いが強くなっていたのだから)。
2人の先輩と再会したのは、X社長の葬式のときで、2人とも40歳を超えていたが、相変わらず独身のままだった。酒の量も相変わらずで、X社長の葬送だというので、3人で夜更けまで痛飲してカプセルホテルに泊まった記憶がある。
その後、2人とは会うこともなく噂も聞かない。私は来年が定年だから、数年前に2人とも退職されてして、第2の人生を送られているはずだ。
どうされていることだろう。今でも酒びたりだろうか。アルコールに侵された体を引きずったまま、どこかの片隅で生きておられるのだろうか。それとも、もう、この世の人ではないだろうか。
ひょっとして、断酒して新しい人生を歩んでおられるということはないだろうか。おふたりに限ってそんなことはないとは思うが、わたしがこうして断酒できているのである。可能性がなくはない。
この記事を書きながら、おふたりに会いたくなってきた。連絡をとってみようと思う。
アルコールなしで旧交を温めることができればいいがなあ。
■ 今日の弁当
今日は、まさにやっつけ弁当である。かぼちゃの煮物に豚ばら肉ともやしの炒め物。
ブログに掲載するのも恥ずかしいが、こういうときだけ掲載しないというのもよくない。
電子出版プラットフォーム「パブー」から、田中かわずのペンネームで、400字詰め原稿用紙で10枚程度の短編小説「桜」「みっちゃんへ」「ピヨピヨ」「ベロの辛抱」、中編小説「おばあちゃんへの贈り物」を電子出版しました。無料です。よかったら読んでね。
エッセイ「オレのリハビリ日記」をパブーから有料で電子出版しました。300円です。よかったら買って読んでね。
昨日で断酒40日達成。たかが40日、されど40日。1日断酒あるのみ。
■ 2人の同僚
私が若かりし頃、ある自治体で公営住宅の滞納整理を担当していたことは以前の記事に書いた(→掲載ページ)。
滞納整理班には私以外に2人の先輩がいて、行政区域内を3分割し、各々の担当区域内の滞納整理に従事していた。
3人で焼酎5合瓶1本を飲みきったら、その日はお開きにするという具合だった。3人ともまだ独身で、安月給のほとんどすべてを酒に費やしていたのである。
そういう生活が3年続いた。
生まれもってアルコール依存症の者はいない。どこかの時点でそうなりはじめる。思い起こせば、あの頃が適正飲酒からアルコール依存へと転げ落ち始めたときだったと思い当たる時期が誰にもあるに違いない。
私にとっては、この時期がそれに当たる。この頃から明らかに適正飲酒ができなくなりはじめていた。
■ 腺病質だったSさん
先輩の1人、Sさんは、中肉中背の体躯の上に小さく長細い頭をちょこんと乗せて、なんとなくこけしを連想させるような人だった。
当時、30歳の半ばだったが、もう既に頭が禿げ上がっていて、年よりは10歳は老けて見えた。胃腸を悪くしていたせいで胃臭がひどかった。
Sさんと話すときは、なるべく顔を近づけないようにしたが、小さな声でボソボソ話されるので、それでは話がよく聞き取れないジレンマに皆が悩んでいた。
腺病質なたちで、若いときにはしばらく躁鬱症で職場を休んだこともある。
世間を斜めから見る癖があって、そうして作り上げてきた自分の人生観、世界観を尺度に人を鼻で笑うようなところがあった。それがときに人の反感を買うのだった。
反面、人情家で、ちょっとした美談や人情話にすぐ涙するところがあった。相反しながら自分の中に同居している世間への反発と順応をちょっと持て余しているという感じだった。
■ グチりのHさん
もう一人の先輩、HさんもSさんと同じ歳で、ずんぐりむっくりした体つきだった。
Sさんとは対象的に磊落な物言いをする人で、若い頃は、男前でならしたらしいのだが、スナックに勤めていたホステスに惚れこんで同棲し、その女性に逃げられた記憶がトラウマになっていて、女性に対する猜疑心はもはや偏見に近かった。
グチリのHと言われるぐらい何に対してもグチグチグチグチ、グチって、気持ちが高ぶってくると、話の語尾に、ホンマ、しょうもないと言うフレーズをつけて話すのが癖だった。こんな具合である。
「なんや昨日の執行は! ホンマにどたまにくる。おい、太郎、聞いてんのか、こら! 課長もたいがいやけど、昨日のうちの班長の発言、あれは何や。しゃべるんやったら、もうちょっとはきはき喋らんかい。ホンマにしょうもない。ほんで、うちのアルバイト、ありゃ何や。一体誰が雇うたんや。46時中、隣の梅ちゃんとべちゃべちゃべちゃべちゃ、くっちゃべって。うるさい言うたらない。これやから女はダメなんや。ホンマにしょうもない」
「Hさん、もうええやん。Hさんの気持ちはみんなようわかってる。それぐらいにして、さあ、もう1杯ぐっといこ」
「太郎はそう言うけどな。悔しいやないか。わしらがこんなに苦労してんのに、隣の係はあれは何や。鐘がなった途端にすぐ帰ってしもて。カラスが鳴くから帰りましょうは歌だけにせえ。特に女子職員は鐘が鳴る前から更衣室で着替えて準備万端、鳴った途端にはいサヨナラや。ホンマ、どたまにくるな。ホンマにしょうもない」
そんな2人と、私は仕事が終われば安酒場に直行したのだったが、安酒場での3人の話もそのほとんどが仕事のことだったような気がする。要は場所が仕事場から安酒場に変わっただけのことである。
強制執行の日は、その安酒場が焼肉屋かどこそこの居酒屋、そして京橋のスナックPに代わったのだった。
本当に、今、思い起こせばあの頃はよく飲んだと思う。アルコール依存症になるために飲んでいるようなものだった。
職場が代わってからは、H先輩、S先輩とも交流が途絶えた(いや、意図的に交流しなかったという方が正確かもしれない。あの頃は、強制執行の仕事が5年を経過し、私の中で住宅の強制執行の臭いが感じられる場所や人とは一切会いたくないという思いが強くなっていたのだから)。
2人の先輩と再会したのは、X社長の葬式のときで、2人とも40歳を超えていたが、相変わらず独身のままだった。酒の量も相変わらずで、X社長の葬送だというので、3人で夜更けまで痛飲してカプセルホテルに泊まった記憶がある。
その後、2人とは会うこともなく噂も聞かない。私は来年が定年だから、数年前に2人とも退職されてして、第2の人生を送られているはずだ。
どうされていることだろう。今でも酒びたりだろうか。アルコールに侵された体を引きずったまま、どこかの片隅で生きておられるのだろうか。それとも、もう、この世の人ではないだろうか。
ひょっとして、断酒して新しい人生を歩んでおられるということはないだろうか。おふたりに限ってそんなことはないとは思うが、わたしがこうして断酒できているのである。可能性がなくはない。
この記事を書きながら、おふたりに会いたくなってきた。連絡をとってみようと思う。
アルコールなしで旧交を温めることができればいいがなあ。
■ 今日の弁当
今日は、まさにやっつけ弁当である。かぼちゃの煮物に豚ばら肉ともやしの炒め物。
ブログに掲載するのも恥ずかしいが、こういうときだけ掲載しないというのもよくない。
電子出版プラットフォーム「パブー」から、田中かわずのペンネームで、400字詰め原稿用紙で10枚程度の短編小説「桜」「みっちゃんへ」「ピヨピヨ」「ベロの辛抱」、中編小説「おばあちゃんへの贈り物」を電子出版しました。無料です。よかったら読んでね。
エッセイ「オレのリハビリ日記」をパブーから有料で電子出版しました。300円です。よかったら買って読んでね。
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