アルコール依存な人たち(美空ひばり)
「昭和の歌姫」と呼ばれた美空ひばりが死亡したのは、昭和天皇が崩御された1989年(平成元年)のことである。52歳という若さだった。
美空ひばりが死んでから既に四半世紀が過ぎたが、いまだに美空ひばりの歌声は、私たち日本人の心の中に生き続けている。
「柔」「悲しい酒」、ブルーコメッツと競演した「真っ赤な太陽」、最後のシングル曲「川の流れのように」などなど、ヒット曲は数知れない。
(ウィキペディアから)
私にとって、特に思い出深い曲は「川の流れのように」である。
7年前、交通事故で両足を骨折し、4時間近くに及ぶ「創外固定」と称する手術を受けたとき、手術室内を静かに満たして流れ続けていた曲だった。
手術は下半身の一部の局所麻酔で行われたから、麻酔の効いていない私の頭は手術の恐怖に冴え渡っていた。
麻酔の効いている部位とそうでない部位の境目辺りにメスを入れられると、激痛が体中を駆け抜けた。その痛みに耐えられず叫び声を上げる私の口に、看護士が濡れタオルを挟んだのだったが、その私を慰めるかのように「川の流れのように」が手術室内を満たしていたのだった。
■ 大の仲良し、中村メイコが語るエピソード
美空ひばりは、たばこと酒が大好きだった。
2011年6月20日の23回忌法要で、幼い頃からひばりの大の仲良しだった中村メイコがこんなエピソードを披露している。
「私もひばりさんも飲んべえで、15歳のときから飲んでいました。2人でゲイバー通いもしました。ひばりさんが病いに伏したとき、私が『あなたと同じくらい飲んだのに、何で私が病気にならないの』というと、ひばりさんは『違うよ、メイコは私の半分しか飲んでない。止めてくれる人がいたでしょ。私はママが死んじゃって、誰も止めてくれなかったの』といいました・・・」
■ 小林旭との結婚
映画スター、歌手として絶頂期にあった美空ひばりが、当時、日活の人気スターだった小林旭と結婚したのが1962年、みばり25歳のときのことである。
しかし、小林旭との結婚はわずか4年で破局を迎える。私は、この2人の破局は、愛し合っていた2人の仲を、当時、ひばりの父親代わりだった田岡山口組長が引き裂いたのだと教えられたものだが、事実はどうも違うらしい。
離婚の記者会見で、旭は「(ひばりへの)未練は一杯ある。みんなの前で泣きたいくらいだ」といったのに対し、ひばりは「私が芸を捨てきれないことに対する(小林旭の)無理解です」「芸を捨て、母を捨てることはできなかった」と述べたという。
離婚後、ひばりは、柔、悲しい酒、グループサウンズのジャッキー吉川とブルーコメッツとの競演「真っ赤な太陽」など、数々の歌をヒットさせ、昭和の歌姫の名を不動のものとした。
■ 美空ひばりの私生活と死因
しかし、私生活は必ずしも幸せなものではなかった。
1980年代に入り、1981年にこれまで二人三脚で助け合ってきた実母・喜美枝が転移性脳腫瘍により68歳で死去、父親代わりだった田岡組長、1982年「三人娘」以来の親友だった江利チエミが45歳で急死、さらに1983年に実弟かとう哲也が、1986年に実弟香山武彦が、共に42歳の若さで死亡、哲也の実子である加藤和也を養子として迎えるも、悲しみ、寂しさを癒すために嗜んでいた酒とたばこの量は日増し増え、体を蝕んでいった。
1987年、みばり50歳のとき、全国ツアー展開中に足腰の激痛に耐えられず、福岡県済生会福岡総合病院に緊急入院。重度の慢性肝炎および両側大腿骨骨頭壊死と診断された。
入院当時の実際の病名は肝硬変であったが、公表する病名の程度を慢性肝炎と低くしていたといわれる。
大腿骨骨頭壊死というのは、アルコールやステロイドホルモンの服用などから、大腿骨(大腿の骨)の股関節を形成する部分(骨頭)が腐ってくる病気である。
関節や足腰の痛みが生じ、痛みのために次第に歩けなくなり、日常生活にも支障をきたすようになる。鎮痛剤で痛みを和らげるか、腐ってしまった部分を金属の人工関節に置き換えるなどの治療を施す。
これらの病名からすると、公式には明らかにされてはいないが、美空ひばりがアルコール依存症だったことはほぼ間違いなさそうだ。
1989年(平成元年)1月、生涯最後のシングル「川の流れのように」を発売。6月、「間質性肺炎」のため死亡。52歳だった。アルコール依存症者の平均死亡年齢である。
死因は間質性肺炎による呼吸不全。間質性肺炎を引き起こす原因は多岐にわかれるが、その中にアルコールの多飲がある。
■ 嫁さんからの電話
ここまで記事を書いてきたとき、私の携帯が鳴った。嫁さんからである。「茨木市駅前のジャンカラで、2人で新年会をしよう」との誘いである。
嫁さんの誘いを断ろうものなら後が怖い。私は子らに「お母さんを迎えにいってくる」と告げた。子らも心得たものである。「お風呂に入って寝てるからね」。
私は、初めて、この日、嫁さんが不審がる中、カラオケで美空ひばりの歌ばかりをを歌った。柔、真っ赤な太陽、川のながれのように、りんご追分、そして「悲しい酒」。
悲しい酒の画面は本人の晩年の映像がバックである。
一人酒場で飲む酒は
別れ涙の味がする
飲んで捨てたい面影が
飲めばグラスにまた浮かぶ
(セリフ)
「ああ、別れたあとの心残りよ
未練なのねあの人の面影
淋しさを忘れるために
飲んでいるのに
酒は今夜も私を悲しくさせる
酒よ どうしてどうして
あの人を
諦めたらいいの」
酒よ心があるならば
胸の悩みを消してくれ
酔えば悲しくなる酒を
飲んで泣くのも恋のため
ひとりぼっちが好きだよと
いった心の裏で泣く
好きで添えない人の世を
泣いて恨んで夜が更ける
悲恋の歌である。画面の美空ひばりの頬から滂沱の涙。
このとき、ひばりは一体、何を思いながら歌い泣いていたのだろうか。
小林旭への思慕と別れの思い出か、母や弟たちとの死別の悲しみか、はたまた、孤独に残された我が身への憐憫か。
歌いながら、私も釣られてホロリとすると、嫁さんいわく「あんた、今日はどうしたん? 何、泣いてんのよ」。
男は感傷的な動物です。そういうこともときにはあるさ。なあ、おまえ。
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