底つきと否認(その2)
アルコール依存症は否認の病気だといわれる。アルコール依存症に陥っていても、そのことを認めようとしないことがこの病気の特徴なのである。
否認には、例えば「私が酒を飲むのはストレス解消のためだ」「こんな世の中、やってらんねえ」「眠れないから」「嫁さんがうるさいから」とかなんだとか、何かと飲む理由をこじつけることも含まれる。
否認について、ここでは龍女ねえさんのブログ「吐血混沌断酒日記」の「ドン底の違い」に寄せられた「アル中彦六」さんのコメントを引用しよう。
これネットで読めますよ。今 朝の8時半 mariaさん。おはようごさいます。AAの「ミーティングハンドブック」の 第3章 さらにアルコホリズムについて(抜粋) ~私たちのほとんどは自分がアルコホーリックだとは認めたがらなかった。自分の精神や肉体がまわりの人たちと違うなどということを、よろこんで認める人間がいるわけはない。だから私たちがふつうの人のように飲めるかも知れないと役にもたたない実験をしてきたからといって、驚くことはない。何とかなるだろうという考え、いつかは飲むのを楽しむことができるようになるという大きな妄想が病気の酒飲みに取り付いている。このおそろしい妄想を、たくさんの病的酒飲みは死の門口に立つまで、そうでなければ狂ってしまうまで手放せないでいる。~ 私、AAの宣伝をする気は全くありません。mariaさんにコメントを入れた「Pさん」のお役に立てればとそれだけです。 断酒会もネットを配信しています。
■ 底つきと否認
昨日の記事「底つきと否認(その1)」で、アルコール依存の底つきについて考えてみた(→掲載ページ)。
底つきとは、要は、アルコール依存に陥ってしまうと、そこからの回復が自力ではできないこと、行き着くところまで行くしかないことに気づくことだと書いた。
底つきのキーワードは気づきである。
一方、アルコール依存症の症状のキーワードは「否認」。アルコール依存に陥っていることの否認である。
つまりは、底つきと否認は裏腹の関係にあるのではないか。
自身がアルコール依存の状態にあることを否認していること、そして、そこからの回復が自力ではできないことに気づくこと、それが底をついたということではないかと思うのである。
■ ぽんたさんの苦しみ
先に掲げた龍女ねえさんの「ドン底の違い」のコメント欄には、ぽんたさんが、アルコール依存に陥っている夫の妻の立場から、夫がアルコール依存の状態にあることを今でも否認していることから、底つきの気づきも得られず、このままでは子どもへの悪影響も考えると離婚までいくしかないかもしれないと、その胸のうちを素直に告白されている。
これに対して、龍女ねえさんやアル中彦六さんも、ぽんたさんに厳しくも温かいコメントを返されている。
そのコメントに感謝しながらも、ぽんたさんの心情は複雑だ。最後のコメントにこうある。
私の心配をして下さり、ありがとうございます。深く、深く、お礼申し上げます。
私は一番最初に同居している夫の両親へ理解を求めるために、この病気について話をしました。 いろんな本を読んで、一人では絶対無理だと思ったからです。論理的な根拠を上げ、症状を説明をし、最初は義父が私に協力的でした。
まずは一緒に、専門医へ相談へ行こうという話までなっておりました。しかし、義母の一言で一転してしまいました。
「俺はアル中なんかじゃない!!」
そう最愛の息子に言われたら、それを信じるしかない いえ、信じて、自分の息子がアル中という世間のやっかいものではないと思いこみたい弱い義両親なのです。
そんな事情もあって、1人で挑む私には夫を無理やりに初診を受けさせるまでしか力が及びませんでした。
そして、無理やりに受診を勧めるのに一番必要になろうかと思うのですが、残念ながら、夫は円満な家庭を望んでおりません。むしろ、離婚して自由になりたいと言っております。
ですから、一番的確なアドバイスをいただいているのに、ごめんなさい。今は、その方法が夫にとって有効ではないのです。
夫の体がこれまで、良く保ってくれたと思っています。でも、40代後半にかかってきた年齢を考えると 今なら間に合うと焦る気持ちがあります。
なので、いつも皆さんの断酒ブログにお邪魔し、何か夫へアプローチするための知恵をお借りさせていただいています。
ぽんたさんのご主人に、今、必要なのは、アルコール依存の否認からの開放と底つき(気づき)なのだろう。それができなければ、ご主人がアルコール依存状態から脱することは難しいだろうと思う。
そして、それは誰かから強制されるのではなく、自身で得るしかない。厳しい言い方になるが、ぽんたさんにはそんなご主人を見守るしか、今は方途がないのではないか、そう思う。
「ドン底の違い」は、龍女ねえさん、アル中彦六さん、ぽんたさんのコメントを含め、アルコールの底つきと否認について深く考えさせられる記事である。
ぽんたさんには、「だんなのことも大変でしょうが、あんまりそっちに精力を注がず、まずは、ぽんたさんご自身とお子さんのことを1番に大切にしてください。だんなのことはだんなに任せてほっときましょう」とエールを送りたい。
■ 最後に
上に書いてきたように、底つきについての私の理解は、ひいらぎさんの考えに近いものがある。というより、ひいらぎさんの書かれた記事を読んで、何かストンと心にはまったのである。
昨日、私の書いた記事「底つきと否認(その1)」(→掲載ページ)について、yamadagagaさんからこんなコメントをいただいた。
尊敬するひいらぎさんの言われる、「底つき」とは、自己流の断酒継続が頓挫し他の力(神の手)に委ねるという解釈でしょうか。
社会的、家庭的、精神・肉体的に、死の一歩手前に晒される事が、「底つき」で、それが断酒継続のより強いきっかけになると理解していたのですが。
さらに、「底つき」を経験せず、自分の意志の力で断酒出来る事が望ましい、と思っていますがいかがでしょうか。
yamadagagaさんの考えられる底つきは、龍女ねえさんの考える底つきとほぼ一緒である。ひいらぎさんのいわれる底つきはやや違う。
yamadagagaさんが指摘されるように、ひいらぎさんは、他者の力を借りなければ自身の力ではアルコール依存の克服はできないと気づくことが底つきだといわれる。これがA・Aの考える底つきでもあるようだ。
yamadagagaさんのコメントへの回答は、まだ断酒2ヶ月程度のひよっこである私には難しい。ここでは「A・Aのいう底つき、私の考えている底つき、どちらも間違いじゃないと信じてる」という龍女さんのコメントを引用するしかない気がする。
ただ、今、いえることは、「底つき」を経験せず、自分の意志の力で断酒できる事が望ましいという考えにはまったく同感であるということだ。
まあ、それができれば、こんなブログを開設したり、あれこれの断酒ブログを渉猟したりすることもないですけどね。
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