アルコール依存な人たち(河島英五)
■ 酒と泪と男と女
「みっちゃん、歌手の河島英五、知ってるか」
「知ってるってなもんじゃないわよ。旦那が河島英五が好きでね。結婚する前によく2人でカラオケにいったけど、旦那の歌は河島英五の『酒と泪と男と女』、『野風増』、それに『時代おくれ』と決まってたわ。もう耳たこもいいとこよ。歌詞も全部覚えてるわ」
「酒と泪と男と女はよくはやったからなあ。俺もカラオケでよく歌ったよ。時代遅れは親父の応援歌として今でも人気がある。松本人志や山本浩二なんかも愛唱歌にしているらしい。その河島英五だけど、いくつで死んだか知ってる?」
「さあ、若かったわよねえ。確か50歳にはなってなかったんじゃないの?」
■ 河島英五の死
シンガーソングライター、河島英五が死んだのは48歳のときだった。死因は肝硬変。今を遡ること13年前のことである。
英五は、2000年の暮れ、年越し公演などハードワークが続いて風邪をこじらせ、翌2001年1月27日に吐血した。
風邪で吐血するということはないから、多分、これは食道静脈瘤破裂ではないかと思われる。アルコール依存症、肝硬変特有の症状である。
即入院し治療を受けて、3月に入っていったん退院し、長女、川島あみるの結婚式に出席。活動を再開するも4月15日に再度吐血し、そのまま24時間後に帰らぬ人となった。
河島英五が酒をこよなく愛していたことはよく知られているが、アルコール依存症に陥っていたかどうかについては、それを明確に示す資料はないようだ。
しかし、英五の日常生活、吐血と死因から推測すると、その死がアルコールに起因することはほぼ間違いないところだろう。
妻の牧子さんが、英五の死後「よくこの人は48歳まで生きたなあと思う」と感想を述べたといわれる。
これを聞いたある人が、旅先で探検家のようなことをして危険な目に何度も遭遇していたから、奥さんはそんな風にいわれたのだろうと書いている記事を読んだことがある。
私はその解釈は間違っているのではないかと思う。
妻の牧子さんには、英五が酒を止めることができないこと、アルコールで体を壊していること、それが原因でいつまでも生きていることはできないだろうことがわかっていたのではないか。
身近にいて英五の大酒を何度もたしなめたに違いないが、英五はその忠告を聞き入れず、俺から歌と酒をとったら何が残るなどといいながら、酒を飲み続けたのではないだろうか。
■ 食道静脈瘤破裂と肝硬変
◇ 肝硬変
英五の死因は上に書いたように肝硬変だった。
肝細胞が死んでしまうと、通常、新しい細胞に再生するが、肝硬変は肝細胞が再生せず、線維組織(細胞ではなく筋状の組織)に置き換えられることによって生じる病変である。
肝臓の外観が萎縮し、表面が凹凸状態になる。外形状だけを形容するなら、ふくよかに実った梅が梅干になるような感じだろうか。
肝硬変になると、肝臓としての機能が著しく減衰し、いろいろな合併症を起こすことになる。門脈圧亢進、腹水、食道静脈瘤、肝性脳症、肝臓がんなどである。
肝硬変の原因は、B型やC型の慢性ウィルス性肝炎による場合が最も多い。ついでアルコール性肝炎から進行する場合である。
欧米ではアルコール性の肝硬変患者は、全肝硬変患者の50%以上を占めているといわれている。
日本の場合はそこまではいっていないようだが、近年、そういう形での肝硬変が増加する傾向にあるといわれる。
B型肝炎ウィルス保菌者でアルコール依存症の私などは、特に要注意である。
ウィルス性肝炎を発症している場合は、すみやかに肝硬変に進行し、肝臓がんを合併しやすいとの統計がある。
肝硬変になって最も心配しなければならないのは食道静脈瘤破裂である。
◇ 食道静脈瘤破裂
肝硬変が進むと、90%以上が食道静脈瘤を併発するといわれている。
肝臓には、胃・食道・小腸・大腸・脾臓などからの静脈が集まった門脈と呼ばれる血管がある。
門脈は小腸などで吸収された栄養分を血液中に貯めて、肝臓に運ぶ働きをしているのだが、肝硬変になると、肝臓内の血液が流れにくくなってこの門脈を圧迫する。
これを「門脈圧亢進」と呼んでいるが、こうなると肝臓に向かうはずの血液が行き場を失い、その一部が食道静脈を伝って心臓に還ろうとする。
これにより、食道粘膜内の静脈が膨らむのである。そして、遂には破裂を起こし吐血にいたる。
食道静脈瘤が破裂すると、血液が固まりにくくなり、出血によりさらに肝機能が悪化する。
最初の吐血で約3割の人が1ヶ月以内に死亡し、これが2度、3度と繰り返されると、その死亡率はどんどん上がる。
河島英五の死も、アルコールの大量飲酒から肝硬変、そして食道静脈瘤破裂による吐血、再度の吐血を経て死亡という典型的事例だったろう。
英五は、「野風増」で息子が20歳になったら一緒に酒を酌み交わしたいと歌ったが、48歳という若い死で、その夢はかなわなかった。
アルコールは老いも若きも関係なく、仮借なく、その命を奪っていくのである。
■ 河島英五の歌
英五は、あの大柄で野太い声で、男臭く「酒と泪と男と女」(作詞作曲:河島英五)をこう歌いあげた。
忘れてしまいたいことや どうしようもない寂しさに
包まれたときに男は 酒を飲むのでしょう
飲んで 飲んで 飲まれて 飲んで
飲んで 飲みつぶれて 寝むるまで飲んで
やがて男は 静かに寝むるのでしょう
忘れてしまいたいことや どうしようもない悲しさに
包まれたときに女は 泪みせるのでしょう
泣いて 泣いて 1人 泣いて
泣いて 泣き疲れて 寝むるまで泣いて
やがて女は 静かに 寝むるのでしょう
また1一つ 女の方が 偉く思えてきた
また1つ 男のずるさが 見えてきた
俺は男 泣きとおすなんて できないよ
今夜も 酒をあおって 寝むってしまうのさ
俺は男 泪は 見せられないもの
飲んで 飲んで 飲まれて 飲んで
飲んで 飲みつぶれて 寝むるまで飲んで
やがて男は 静かに寝むるのでしょう
また、英五は、中年男の生き様を、「時代おくれ」(作詞:阿久悠、作曲:森田公一)でこう歌い上げ応援した。
1日2杯の酒を飲み
さかなは特にこだわらず
マイクが来たなら微笑んで
十八番を1つ歌うだけ
妻には涙を見せないで
子供に愚痴をきかせずに
男の嘆きはほろ酔いで
酒場の隅において行く
目立たぬように
はしゃがぬように
似合わぬことはむりをせず
人の心を見つめつづける
時代おくれの男になりたい
不器用だけれどしらけずに
純粋だけど野暮じゃなく
上手なお酒を飲みながら
1年1度酔っ払う
昔の友にはやさしくて
変わらぬ友と信じ込み
あれこれ仕事もあるくせに
自分のことは後にする
ねたまぬように
あせらぬように
飾った世界に流されず
好きな誰かを思い続ける
時代おくれの男になりたい
目立たぬように
はしゃがぬように
似合わぬことはむりをせず
人の心を見つめつづける
時代おくれの男になりたい
■ 英五の墓
英五の墓は、奈良県奈良市の十輪院にある。墓碑には旅が好きだった英五を偲んで、ラクダの隊列が描かれ、英五直筆の「心から心へ」の5文字が刻み込まれている。
歌「心から心へ」で、英五はこう歌う。
君と僕の 2つの心は
ほろびるために 愛し合ったのではない
白いビンセンに したためた文字は
長い旅のあとの 君への愛
山よ河よ雲よ空よ 風よ雨よ波よ星たちよ
大いなる大地よはるかなる海よ
時を越えるものたちよ
あなた達に囲まれて私達は生きていく
たった1度きりのささやかな人生を
くり返しくり返し ただひたすらに
くり返しくり返し 伝えられてきたもの
くり返しくり返し 心から心へ
山よ河よ雲よ空よ 風よ雨よ波よ星たちよ
大いなる大地よはるかなる海よ
時を越えるものたちよ
あなた達に囲まれて私達は生きていく
たった1度きりのささやかな人生を
くり返しくり返し ただひたすらに
くり返しくり返し 伝えられてきたもの
くり返しくり返し 伝えていくんだ
くり返しくり返し 心から心へ
心から心へ
墓石の裏には、これまた英五の直筆でこうある。
ふりかえるといくつもの幸せ
ふりかえるといくつもの哀しみ
いそがしさをいいわけにして
あなたとゆっくり話すこともなかったが
あなたがいてくれたかから
がんばってこれたんだ
あなたを支えにして
あなたにほめられたくて
この歌(詩)の存在については、生前、誰も知らなかったと書いているのを、どこかで読んだ記憶がある。死期を悟っていた英五が妻に宛てた遺書(感謝)だったのかもしれない。
電子出版プラットフォーム「パブー」から、田中かわずのペンネームで、400字詰め原稿用紙で10枚程度の短編小説「桜」「みっちゃんへ」「ピヨピヨ」「ベロの辛抱」、中編小説「おばあちゃんへの贈り物」を電子出版しました。無料です。よかったら読んでね。
エッセイ「オレのリハビリ日記」をパブーから有料で電子出版しました。300円です。よかったら買って読んでね。
「みっちゃん、歌手の河島英五、知ってるか」
「知ってるってなもんじゃないわよ。旦那が河島英五が好きでね。結婚する前によく2人でカラオケにいったけど、旦那の歌は河島英五の『酒と泪と男と女』、『野風増』、それに『時代おくれ』と決まってたわ。もう耳たこもいいとこよ。歌詞も全部覚えてるわ」
「酒と泪と男と女はよくはやったからなあ。俺もカラオケでよく歌ったよ。時代遅れは親父の応援歌として今でも人気がある。松本人志や山本浩二なんかも愛唱歌にしているらしい。その河島英五だけど、いくつで死んだか知ってる?」
「さあ、若かったわよねえ。確か50歳にはなってなかったんじゃないの?」
シンガーソングライター、河島英五が死んだのは48歳のときだった。死因は肝硬変。今を遡ること13年前のことである。
英五は、2000年の暮れ、年越し公演などハードワークが続いて風邪をこじらせ、翌2001年1月27日に吐血した。
風邪で吐血するということはないから、多分、これは食道静脈瘤破裂ではないかと思われる。アルコール依存症、肝硬変特有の症状である。
即入院し治療を受けて、3月に入っていったん退院し、長女、川島あみるの結婚式に出席。活動を再開するも4月15日に再度吐血し、そのまま24時間後に帰らぬ人となった。
河島英五が酒をこよなく愛していたことはよく知られているが、アルコール依存症に陥っていたかどうかについては、それを明確に示す資料はないようだ。
しかし、英五の日常生活、吐血と死因から推測すると、その死がアルコールに起因することはほぼ間違いないところだろう。
妻の牧子さんが、英五の死後「よくこの人は48歳まで生きたなあと思う」と感想を述べたといわれる。
これを聞いたある人が、旅先で探検家のようなことをして危険な目に何度も遭遇していたから、奥さんはそんな風にいわれたのだろうと書いている記事を読んだことがある。
私はその解釈は間違っているのではないかと思う。
妻の牧子さんには、英五が酒を止めることができないこと、アルコールで体を壊していること、それが原因でいつまでも生きていることはできないだろうことがわかっていたのではないか。
身近にいて英五の大酒を何度もたしなめたに違いないが、英五はその忠告を聞き入れず、俺から歌と酒をとったら何が残るなどといいながら、酒を飲み続けたのではないだろうか。
■ 食道静脈瘤破裂と肝硬変
◇ 肝硬変
英五の死因は上に書いたように肝硬変だった。
肝細胞が死んでしまうと、通常、新しい細胞に再生するが、肝硬変は肝細胞が再生せず、線維組織(細胞ではなく筋状の組織)に置き換えられることによって生じる病変である。
肝臓の外観が萎縮し、表面が凹凸状態になる。外形状だけを形容するなら、ふくよかに実った梅が梅干になるような感じだろうか。
肝硬変になると、肝臓としての機能が著しく減衰し、いろいろな合併症を起こすことになる。門脈圧亢進、腹水、食道静脈瘤、肝性脳症、肝臓がんなどである。
肝硬変の原因は、B型やC型の慢性ウィルス性肝炎による場合が最も多い。ついでアルコール性肝炎から進行する場合である。
欧米ではアルコール性の肝硬変患者は、全肝硬変患者の50%以上を占めているといわれている。
日本の場合はそこまではいっていないようだが、近年、そういう形での肝硬変が増加する傾向にあるといわれる。
B型肝炎ウィルス保菌者でアルコール依存症の私などは、特に要注意である。
ウィルス性肝炎を発症している場合は、すみやかに肝硬変に進行し、肝臓がんを合併しやすいとの統計がある。
肝硬変になって最も心配しなければならないのは食道静脈瘤破裂である。
◇ 食道静脈瘤破裂
肝硬変が進むと、90%以上が食道静脈瘤を併発するといわれている。
肝臓には、胃・食道・小腸・大腸・脾臓などからの静脈が集まった門脈と呼ばれる血管がある。
門脈は小腸などで吸収された栄養分を血液中に貯めて、肝臓に運ぶ働きをしているのだが、肝硬変になると、肝臓内の血液が流れにくくなってこの門脈を圧迫する。
これを「門脈圧亢進」と呼んでいるが、こうなると肝臓に向かうはずの血液が行き場を失い、その一部が食道静脈を伝って心臓に還ろうとする。
これにより、食道粘膜内の静脈が膨らむのである。そして、遂には破裂を起こし吐血にいたる。
食道静脈瘤が破裂すると、血液が固まりにくくなり、出血によりさらに肝機能が悪化する。
最初の吐血で約3割の人が1ヶ月以内に死亡し、これが2度、3度と繰り返されると、その死亡率はどんどん上がる。
河島英五の死も、アルコールの大量飲酒から肝硬変、そして食道静脈瘤破裂による吐血、再度の吐血を経て死亡という典型的事例だったろう。
英五は、「野風増」で息子が20歳になったら一緒に酒を酌み交わしたいと歌ったが、48歳という若い死で、その夢はかなわなかった。
アルコールは老いも若きも関係なく、仮借なく、その命を奪っていくのである。
■ 河島英五の歌
英五は、あの大柄で野太い声で、男臭く「酒と泪と男と女」(作詞作曲:河島英五)をこう歌いあげた。
忘れてしまいたいことや どうしようもない寂しさに
包まれたときに男は 酒を飲むのでしょう
飲んで 飲んで 飲まれて 飲んで
飲んで 飲みつぶれて 寝むるまで飲んで
やがて男は 静かに寝むるのでしょう
忘れてしまいたいことや どうしようもない悲しさに
包まれたときに女は 泪みせるのでしょう
泣いて 泣いて 1人 泣いて
泣いて 泣き疲れて 寝むるまで泣いて
やがて女は 静かに 寝むるのでしょう
また1一つ 女の方が 偉く思えてきた
また1つ 男のずるさが 見えてきた
俺は男 泣きとおすなんて できないよ
今夜も 酒をあおって 寝むってしまうのさ
俺は男 泪は 見せられないもの
飲んで 飲んで 飲まれて 飲んで
飲んで 飲みつぶれて 寝むるまで飲んで
やがて男は 静かに寝むるのでしょう
また、英五は、中年男の生き様を、「時代おくれ」(作詞:阿久悠、作曲:森田公一)でこう歌い上げ応援した。
1日2杯の酒を飲み
さかなは特にこだわらず
マイクが来たなら微笑んで
十八番を1つ歌うだけ
妻には涙を見せないで
子供に愚痴をきかせずに
男の嘆きはほろ酔いで
酒場の隅において行く
目立たぬように
はしゃがぬように
似合わぬことはむりをせず
人の心を見つめつづける
時代おくれの男になりたい
不器用だけれどしらけずに
純粋だけど野暮じゃなく
上手なお酒を飲みながら
1年1度酔っ払う
昔の友にはやさしくて
変わらぬ友と信じ込み
あれこれ仕事もあるくせに
自分のことは後にする
ねたまぬように
あせらぬように
飾った世界に流されず
好きな誰かを思い続ける
時代おくれの男になりたい
目立たぬように
はしゃがぬように
似合わぬことはむりをせず
人の心を見つめつづける
時代おくれの男になりたい
■ 英五の墓
英五の墓は、奈良県奈良市の十輪院にある。墓碑には旅が好きだった英五を偲んで、ラクダの隊列が描かれ、英五直筆の「心から心へ」の5文字が刻み込まれている。
歌「心から心へ」で、英五はこう歌う。
君と僕の 2つの心は
ほろびるために 愛し合ったのではない
白いビンセンに したためた文字は
長い旅のあとの 君への愛
山よ河よ雲よ空よ 風よ雨よ波よ星たちよ
大いなる大地よはるかなる海よ
時を越えるものたちよ
あなた達に囲まれて私達は生きていく
たった1度きりのささやかな人生を
くり返しくり返し ただひたすらに
くり返しくり返し 伝えられてきたもの
くり返しくり返し 心から心へ
山よ河よ雲よ空よ 風よ雨よ波よ星たちよ
大いなる大地よはるかなる海よ
時を越えるものたちよ
あなた達に囲まれて私達は生きていく
たった1度きりのささやかな人生を
くり返しくり返し ただひたすらに
くり返しくり返し 伝えられてきたもの
くり返しくり返し 伝えていくんだ
くり返しくり返し 心から心へ
心から心へ
墓石の裏には、これまた英五の直筆でこうある。
ふりかえるといくつもの幸せ
ふりかえるといくつもの哀しみ
いそがしさをいいわけにして
あなたとゆっくり話すこともなかったが
あなたがいてくれたかから
がんばってこれたんだ
あなたを支えにして
あなたにほめられたくて
この歌(詩)の存在については、生前、誰も知らなかったと書いているのを、どこかで読んだ記憶がある。死期を悟っていた英五が妻に宛てた遺書(感謝)だったのかもしれない。
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