アルコール依存な人たち(猪野亜朗)
猪野亜朗 ― 三重県四日日市のかすみがうらクリニック副院長、精神科医。現在の日本のアルコール依存治療の最前線を歩かれる医師のお一人である。
アルコール依存治療のあかひげ先生といってもいいかもしれない。
私も愛媛県の生まれだが、先生が愛媛県のどこの出身かは資料がないからわからない。猪野というお名前からすれば、西日本の最高峰、石鎚山の山懐に抱かれたどこかの山村の出身で、小さい頃から秀才をうたわれ、愛媛のどこかの進学校を卒業後、京都府立医科大学に入学されたのではないかと想像するが、これはちょっと早とちりに過ぎるかもしれない。
私は1953年(昭和28年)の生まれで、今年、59歳だから、先生は70歳である。私が大学に入学した頃は、大学紛争のなごりがどこかでかすかにくすぶっているといった状況だったが、先生が大学に入学された頃は、その大学紛争真っ盛りの時代だった。
先生もご他聞にもれず、大学に入学するとさっそくその渦中に飛び込まれたらしい。いわゆる全共闘時代である。その闘争の季節の中で国家変革の熱意に浮かされ、そして得たものは挫折。
大学の精神科の医局が解体する騒動の中、ご自身も大学を追われ、流れるようにして三重県の県立高茶屋病院に就職されたのだという。先生28歳のときのことだった。
■ アルコール依存症者との出会い
先生が医療の現場で直面したのが、多くのアルコール依存症患者だった。
臨床、組合活動に取り組みながらのアルコール依存症者の治療はそれこそ大変で、回復して退院したと思ったら再飲酒の繰り返し、そして自殺。何度も治療の無力感に襲われたという。
それでも、先生はアルコール依存症の治療を進めていかなければいけないと決意される。先生にその決意を固めさせた原風景がある。
あるアルコール依存症者の自宅を訪問してみた光景 ― アルコール依存症の夫が奥さんの髪をつかんで何度も柱に叩きつけている。そしてその光景を2階から子どもが声を失って見つめている。
これはどうにかしなければいけない。病院に就職して4年後、先生は医療仲間や患者たちと語らって三重県断酒新生会を設立、断酒の家、診療所、共同住居の運営に参加することになった。
■ 内科と精神科の連携
そして、先生がアルコール依存の治療を通じて感じたのは、内科と精神科の連携の薄さだった。
断酒会に参加したとき、あるアルコール依存症者が、最初に診てもらった内科医で断酒を勧められていれば、こんなに家族に迷惑をかけずに済んだ。家族を失うこともなかったかもしれないと、絞り出すように吐露した言葉が、今でも先生の耳を離れないという。
先生は、アルコール依存を傷の浅いうちに治療することの必要性を痛感され。そのためには内科と精神科の連携医療こそが必要不可欠だとの認識に立ち、三重県内の内科医に働きかけて、1996年(平成8年)、「三重県アルコール関連疾病研究会」を結成し、内科と精神科の連携によるアルコール依存の早期治療に取り組んでこられた。
この研究会は、三重県内各地の一般病院で、医師やケースワーカーらを対象にした、依存症の兆候を見つけ、専門治療につなげるための研修会を数多く開いて、現在までに延べ2000人を優に超える参加を得た。
この結果、三重県では、いまや、アルコール依存症者が一般病院からアルコール専門治療病院にたどり着く期間が、7.4年から2.8年まで短縮されるまでになったという。
こうした取り込みは、「三重モデル」として、医学界でも高く評価されている。
■ 先生の講演から
この辺の消息について、ここでは、先生自身の言葉で語ってもらうことにしよう。
少々長くなるが、「仲間の会事務所」」を支える会発行の「会報NO.17」(2010年9月10日付け)(→掲載ページ)から先生の講演から抜粋する。
アルコール患者さんとの出会いは、私が登校拒否ならぬ「出勤拒否」したくなるほどの大変な出会いでした。しかし、この大変さが若手医師仲間と共に断酒会を三重の地に立ち上げる私のエネルギーになりました。
当時のアルコール医療は、抗酒剤以外の治療手段のない「医療砂漠」で、何にもない状態でした。そんな中で、自助グループは私にとって「希望の灯」でもありました。その当時から、私は個人の当事者や家族だけで問題は生起したり、回復したりするものではないと思っていました。
私たちは、常にその時点の「社会的な関係」に影響され、また影響を与えて断酒を目指しているのです。その意味で「断酒会の灯を消さないこと」、「断酒会をきちんと機能させ続けること」、「国や自治体、専門家、そして市民はそれを支援すること」が不可欠と思っていました。
アルコールがもたらす苦しみは、当事者にとっても家族にとっても「底なし沼」です。当時は何にも治療手段がないので、「月光仮面」のように酒乱の現場に駆けつけていました。今から思うと恥ずかしい限りですが、それしか私たちにできることはありませんでした。
そんな行動で当事者を救えないのは当然ですが、それでも私には「酒害」の大変さを知る機会になりました。机上の理論ではなく「酒害の現場」を知ることになり、そのことが私のアルコール医療の原点になっていると思います。また、津市の断酒の家では、診療と共に本部例会に参加していましたので、家族の体験発表を聞いて、いつも心を打たれていました。
本人と家族の体験発表の落差の大きさにはよく驚かされました。また、アルコール医療の中で家族相談を受けたときに「もし、内科の先生が気づいてくれていたら、この人の人生も変わったのに」、「産業医が検診データで気づいて専門治療につなげてくれていたら」と思うことがたびたびありました。
一方、あらゆる機会を通じて、内科医の先生方に連携医療の必要性を訴え続けました。チャンスは容易には訪れませんでした。しかし、あらゆる機会を生かして、遂に三重大学消化器内科の先生方とつながることができました。
今、三重県では内科医と一緒に研究会を立ち上げて15年、愛知県の研究会も塚田勝比古先生のリーダーシップと事務局の雲川伸正さん等のおかげで4年になります。
私は、この過程で内科医や産業医の先生方の腰の重いことを決して責めてはいけないと心に決めていました。責めるのではなく、いかに気づいてもらうかを考えました。
それは、当事者の方の否認に対して、気づきを得てもらう取り組みから学んだ姿勢です。実際、今では多くの内科医の気づきを得ています。医療関係者にも当事者に対する否認があって当然なのです。「深夜にやってくる」「指示を守らない」「大声でわめく」「繰り返しやってくる」「スタッフの努力は報われない」。なんとかしようとすると、病棟スタッフから冷たい視線でみられて孤立する。こんなトラウマをいくつももっているのです。
そんな結果、医師たちは「アルコール患者は厄介な人」「いうことを聞いてくれいない人」だから「見て見ぬふり」「その場しのぎ」をするようになっていったんです。そんな思いは、私たちアルコール医療に取り組んでいる者の心の中にもあるんです。
私たちは、アルコールの患者さんに1人で対応するとしんどいし、すぐ燃えつきます。だから、支えあうこと、苦労や喜びを共感しあうこと、スキルを交換すること、そして情報とエネルギーの交換が必要なのです。これは家族システム理論から学んだ考え方です。これまで聞かれて、皆さんは断酒と同じだと思われたことでしょう。そう、まったく同じなんです。
■ 家族介入法と動機づけ面接法
先生のアルコール依存治療法の基本は、「家族介入法」と「動機づけ面接法」である。こういわれる。
「専門治療の受診を拒む本人を家族指導によって受診させる家族介入法と動機づけ面接法による治療を行っています。断酒、節酒は他人に強制されてできるものではなく、患者本人が気づき、自らの意思で選択してこそ効果があるもの。本人の動機づけにいたるまでの家族の協力は不可欠。そのためにも患者家族の支援に力を注ぎたい。まずは、依存とはアルコールによる脳の変化と説明。家族に対しては、患者本人のポジティブな面を評価することを忘れず、冷静な対応を促します。患者には自分の意思で行っているのだというポテンシャルをもたせる治療からはじめます」
また、こうもいわれる。治療においては、
・アルコールによる被害を受けた人として慈しむ心を持つこと。
・患者の自己決定を大切にすること。
・家族の苦悩の大きさに共感すること が基本。
それに「酒は百薬の長」という間違った社会意識が消え、「酒は万病の元」という社会意識が定着することが最も大切だ、と。
■ アルコール健康障害対策基本法の成立に向けて
先生の目下の目標は、アルコール健康障害対策基本法の成立(→掲載ページ)である。
内科と精神科の連携の必要性をいくら啓発したとしても、100年経っても医療現場は変わらない。そのことを痛感した先生は、基本法を作ってその力をバックに連携医療を推し進めていくしかないと考えるようになった。
先生は、今、アルコール健康障害対策基本法の制定に向けて、アルコール関連問題基本法推進ネット(→掲載ページ)の設立に加わり、国をあげてのアルコール問題対策の仕組みを作り上げることにまい進されている。
先生自身酒を控えて10数年になる。奥さんが病気のときに「おやじは酒ばかり飲んでいる」と息子にたしなめられ決意したという。
先生のアルコール依存治療にかける情熱は醒めることがない。老いてますます意気盛んである。
■ 先生の書かれた本(→掲載ページ)
先生はこれまで、アルコール依存症を中心としたアルコール健康問題について数多くの本を出版されている。
ブログ「アル中親父のアルコール依存症克服記」が、その中の一冊「アルコール性臓器障害と依存症の治療マニュアルー急増する飲酒問題への正しい対処法」(1996年7月 星和書店)について、次のような指摘に納得がいったと感想を述べて紹介されている。掲載しておこう。
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この本もアルコール依存症とその家族のことが良く分かる本です。
アル中といえば「だらしない人」というイメージでしたがこの本では「酒をのまずにいられない疾患」ということが非常にわかりやすく解説されています。
本人が治療をうけるのはもちろん大切ですが、アルコール依存症は家族をも巻き込む重大な疾患であることも指摘されています。
アルコール依存症についておもしろかった分部を抜粋して紹介します。
実は著者らアルコール医療に従事している者もつい最近までアルコール依存症者が怠け者で、働かずに朝からブラブラしている者が多いという偏見にとらわれていた。
著者が開発した「仕事中毒チェックリスト」によって、一般人とアルコール依存症者との仕事中毒率を調べたところ、アルコール依存症者が有意に多く、それも七割以上の者が仕事中毒であることが判明し、従来言われていた常識と明らかに異なっていた。
実際に、アルコール依存症者が臓器障害の治療を受けている時、体調が回復すると、仕事を気にして検査や治療を拒んで通院を中断したり、途中退院していく場合が多いのもこのように考えると納得がいくはずである
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