アルコール依存な人たち(鴨志田穣)
「さっちゃん、鴨志田穣(かもしだゆたか)って人、知ってる?」
「うーん、聞いたことあらへんなあ」
「じゃあ、西原理恵子(さいばらりえこ)さんは?」
「西原理恵子さんなら知ってる。あの漫才師で料理が得意で、NHKの法律相談なんかで、淡路島が自分の持ち物とかなんとか大法螺吹いてる人やろ。大阪のおばちゃんの代表みたいな存在や」
「それはちゃうちゃう、上沼恵美子。西原理恵子さんは漫画家。あの「毎日かあさん」とか「ぼくんち」で有名な人や」
「ああ、それやったら知ってるわ。新聞でよう読んだもん。おもしろかったやん。そっか、あの漫画書いた人が西原理恵子さんていうのん。で、その西原さんとさっきのなんとかいう人はどういう関係なん?」
「鴨志田穣さんは西原理恵子さんの元旦那さんなんや。戦場カメラマンでエッセイなんかも結構書いてたけど、42歳のとき、腎臓がんで死んだしもた」
「えらい若い年で死んだんやねえ。もったいない。で、ええ男やったん?」
鴨志田穣の名前を知っている人はそう多くはないだろう。1964年(昭和39年)7月に生まれ、2007年(平成19年)3月にこの世を去った。42年の短い人生だった。
職業は戦場カメラマンにしてエッセイスト。作家でもあった。死因は腎臓がんだが、アルコール依存症を病んでいた。父親もアルコール依存症だったというから、鴨志田穣のアルコール依存は遺伝的要素もあったのだろう。
鴨志田穣の自伝的小説「酔いがさめれば、うちに帰ろう」によれば、アルコール専門病院につながって断酒するまで、10回の吐血を繰り返している。
■ 吐血
吐血は様々な原因から起きる。ストレスから胃壁に穴が開いて吐血する場合もあるし、結核による喀血もある。
アルコール依存症による吐血は、肝硬変による静脈瘤破裂による場合が最も多い。肝臓が繊維化して萎縮し、血液を処理できなくなると、その血液が食道壁の血管を逆流して心臓に戻ろうとするのだが、そのとき食道壁に静脈瘤ができる。この瘤が何かの拍子に裂けて吐血となるのである(→詳しくは「河島英五」の項を参照)。
肝硬変では、この食道静脈瘤破裂がもっとも恐ろしい。多くのアルコール依存症者がこれで死亡している。
この「アルコール依存な人たち」で紹介した歌手の河島英五もその一人である。河島英五は2回目の吐血で死んでいる(→参照)。
鴨志田穣が、そんなに恐ろしい食道静脈瘤破裂を10回も繰り返したというのはやや疑わしい。そこまで鴨志田の体や食道が強靭だったかどうか。
私は医者ではないが、最初の何回かの吐血は別の原因による胃や腸などからの出血だったのではないかと推測するが、さて、どうだろう。
■ アルコール依存と腎臓がん
鴨志田穣の直接の死因は腎臓がんだが、アルコール依存症と腎臓がんの間に因果関係はあるのだろうか。
腎臓は排尿作用を担う臓器である。排尿は体内の毒素を体外に排泄する代謝活動であるが、この代謝活動には大量のエネルギーがいる。そして、この代謝に必要なエネルギーは食事によって補給される。
ところが、アルコール依存症になると、酒ばかり飲んで十分な食事を取らなくなることが多い。そうなると、勢い栄養不足に陥る。栄養不足になると、代謝活動に必要なエネルギーが補給できなくなって代謝異常を引き起こし、腎臓は正常な機能を果たせなくなる。遂には慢性腎不全に陥ってしまうのである。
腎不全による症状には、排尿障害、浮腫、発熱、下腹部痛などがあり、その合併症に腎臓がん、尿毒症などがあるといわれている。
■ 腎臓がんと飲酒の関連調査
88,759人の女性を20年間、47,828人の男性を14年間追跡し、飲酒と腎臓がんのリスクの関係を調べた研究がある。
この研究結果によれば、対象者の中で腎臓がんを発症した人は248人で、飲酒と腎臓がんの間には有意な相関関係は認められないとされている。
しかし、1日15g(ビールだと300ml)以上のアルコール摂取がある例は、アルコール摂取がない例と比較して、有意ではないが、腎臓がんのリスクと関連する傾向が認められるとしている(→参照)。
ビール300mlといえば缶ビール1本弱である。アルコール依存症者が、1日、この程度のアルコール摂取量でおさまるはずがない。
とするならば、上の研究結果からしても、アルコール依存が腎臓がんを招来する可能性は結構ありうる話といえるのではないか。
上に書いた腎臓の機能やこのような疫学的調査結果からすれば、医学的な証明はされてはいないが、アルコール依存症に陥った人が腎臓がんになった場合には、その間に一定の相関関係が認められるに違いないと思う。
以上は、アルコール依存と腎臓がんの関連だが、 とにかく、アルコール依存症は内臓のあれこれの臓器の機能を著しく低下させる病気である。
腫瘍はやくざのように悪いやつだから、きっと体の弱いところ、悪いところに巣食おうとするに違いない。
腎臓がんにしろ肝臓がんにしろ、アルコール依存に陥れば、その影響で弱った部位にがんを併発する可能性は著しく高くなるのではないか、そう思う。
鴨志田穣の直接の原因となった腎臓がんも、その故郷を探せばアルコール依存にたどり着くことになるのではないだろうか。
そういう意味では、鴨志田穣もアルコール依存という病魔に冒されて死んでしまったといっていいだろうと思う。
■ 鴨志田穣の生き様
その鴨志田穣の経歴をたどってみる。
神奈川県川崎市で生まれ、札幌市で育ったが、高校卒業後、予備校に入るものの大学進学を諦め、新宿の居酒屋で働きながら、戦場カメラマンに憧れる。
23歳のとき、アルバイトで貯めた金でカメラを買いバンコクに行き、アジア各国を渡り歩く。戦場カメラマンの橋田信介に出会い師事、戦場カメラマンとして世界中の紛争地帯で取材活動を行う。
その途上、ミャンマーでクメールルージュ(ポルポト派)の捕虜となって新聞に載り、フリーライターとして世間に名前が知られるようになる。
その後も世界各地の戦場を転々とし、極限のストレスから重度のアルコール依存症に陥る。
アルコールを断つため仏門に入り僧侶となる。しかし、これはどうやら、アルコール断ちのためというより、僧侶になればミャンマーへのビザが取得しやすかったことが主な目的だったようでもある。
1996年(平成8年)、タイ取材中の西原理恵子に出会い、同年9月に行われたアマゾン取材企画にカメラマンとして同行、2人は恋に落ちる。
帰国後、2人は結婚し、1男1女をもうける。
鴨志田穣は、帰国後、自身のアジア滞在経験などをもとに、西原理恵子と「アジアパー伝」シリーズなどの共著を出版するなどして、作家としてもデビューする。
西原とともの世界各国の取材旅行にいったりしているが、そのうち、アルコール依存が重度化し始め、吐血のたびに入退院を繰り返すようになる。
2003年、結婚後6年目にして、遂に2人は離婚する。
離婚後も、鴨志田穣は西原のサポートを受け、アルコール専門病院で本格的に治療することを決意する。
鴨志田穣は、私小説「酔いがさめたら、うちに帰ろう」にこの間のことを書き、その中で腎臓がんに冒されていることを告白した。
なお、この小説はのちに、東陽一監督の手で映画化された(→参照)。
退院後は西原とその子らと平穏な生活をおくり、6ヵ月後にこの世の人ではなくなる。
アルコール依存を克服する途上にいながら、そのアルコールが呼び寄せた別の病魔に命をさらわれてしまったのである。
■ 西原理恵子と鴨志田穣
なかなか壮絶な人生である。それに典型的なアルコール依存症を生きた人でもある。
西原はアルコール依存に陥った鴨志田との結婚生活と離婚にいたるまでのあれこれをこんな風に回顧している。
NHK福祉ポータルサイトの記事(>→参照)を引用することにしよう。
「朝から晩まで酒ばっか飲みやがって、出てけー」
通算100万部に迫る人気漫画『毎日かあさん』に登場する1シーン。
仕事と子育てに奔走する母さんと子供たち、大酒飲みの父さん。4人が織りなす日常を描いた漫画です。
『毎日かあさん』のモデルは作者であり、2人の子供の母親でもある漫画家の西原理恵子さん自身です。
2007年、パートナーをガンでなくしました。
夫の鴨志田穣(かもしだゆたか)さんは、戦場カメラマン。
通算で結婚生活は6年、でも普通に暮らしていたのは最初の半年くらいでした。
「その後は、お酒を飲んでなじったり暴れたり。 彼のことが怖かったり、憎かったりしてね、普通に接するのに精一杯でした」
アルコール依存症は薬物依存の一種で、自分の意志では飲酒をコントロールできなくなる病気です。
早期に専門的な治療を受ければ、回復の可能性も高いと言われています。
しかし、当時の西原さんには知識がありませんでした。
酒浸りの日々を送る鴨志田さんを西原さんは責め続けました。
「耐えられないけど、耐えるしかない。どこにも出口がないんです。
なんで離婚しないの? とよく言われました。けれども離婚するって、ものすごく体力がいる。相手の方が力が大きくて、こちらは小さな子供を抱えている。酔っている夫から逃げ回りながらも仕事をしていました。朝方になったら酔いつぶれて寝ているから、その間に仕事をする。そうすれば明日きっと何かがあるんじゃないかと思っていました。
それに、酒を飲んでいない時はいい人だったし、おかしい時に捨てるんだったら家族じゃない。そう思っていましたから」
酒浸りの夫と向き合い続けた西原さん。しかし、結婚6年目、ついに離婚を決意します。
「もう難破しているような状況で、こっちの手に子供、もうひとつの手に夫がいて、もうだめだと。それで夫の手を離しました。
でも、離婚で明らかに変わりました。
彼がお酒を本当にやめたいと言い始めたんです。
彼が自分で病院に通い始めた。
私は怠け者の嘘つきだと思い込んでいるのでまだ信じてなかった。
でも、やめるんだ、やめるんだって言って」
離婚後、鴨志田さんは専門の病院で本格的な治療を受け始め、西原さんはそんな鴨志田さんを見舞ううち、アルコール依存症に対する見方を変えていきました。
アルコール依存症はガンと同じ大変な病気で、治療のためには家族の強い協力と専門の医師の力がいること。
夫が酒をやめられなかったのは、性格ではなく病のせいだった、と西原さんは気付いたのです。
「AAの会(お酒をやめ、生き方を考える自助グループ)に参加し、いろんな患者さんの体験談を聞いて、家族の方がみんな私と同じ苦しみを抱いているのを知りました」
鴨志田さんは6ヶ月に渡る入院治療の末、酒をやめ、家族のもとへ帰ってきました。
しかし、その時には末期の腎臓がんだと診断されていました。
それから彼と過ごした6ヶ月はとても幸せでした。
お父さんとお母さんと子供たちとおいしいご飯。
2007年3月20日、鴨志田さんは西原さんに看取られながら亡くなりました。
「たった半年ですけどアルコールが全部抜けて退院してからは、結婚する前の付き合っていた彼を思い出して。
そうだ、この人、優しいいい人だったよなって。
この半年がないまま、憎しみ合って別れてしまったら、どんなにか辛かっただろうと。
家族を憎んで一生生きていく、そんな辛いことはないですから。
アルコールの時は、本当に人じゃないんですよ。こんなに悪質なことができるのかっていうようなことをするんです。
本人の心、性格、誰のせいでもないんですけどね。でも、子供を傷つけないで済んだ、一生憎まれる存在じゃなくて済んだって、死ぬ間際、彼はそう言っていました。
この経験を話すことで、もしかして心のつかえが取れる方がいらっしゃったらと思って、今日ここに出させていただいたんですけど。他にもいろんな依存の病気があります。家族でいいですから、病院やカウンセリング、専門の先生に診てもらうこと。聞きにいくことがすごく大事だと思います」
鴨志田穣本人もアルコール依存で苦しんだことだろうが、その家族の苦しみには倍するものがある。アルコール依存症を患って人が死ぬ場合、その多くは家族に深い傷を残す。
しかし、鴨志田穣は、死ぬに際して、「子供を傷つけないで済んだ、一生憎まれる存在じゃなくて済んだ」といい残したという。
死ぬ6ヶ月間の家族との平穏な生活が、彼をしてそういわしめたのだろう。穏やかだったろうその死に顔が目に浮かぶような気がする。
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