このオレが何をしたというんや! (その①)
断酒100日を越えたというので、気が緩んでしまって、このブログにも断酒にかかわりないことを、かなり気ままに、このところ書いている。
そういう気の緩みは桑原、桑原だが、こうしてブログを更新している間は、断酒を継続していくことができる気がする。
なにせ、こうして「断酒やってまっせ」とおおっぴらに宣言しているわけだからね。
で、よければ、断酒と関係ない話、今少しお付き合いを。
みなさんが、これまでの人生の中で、一番痛い思いをしたのはどんなときだろうか。
心ではない。体のことである。
私は、やぱり10年ぐらい前に、部下の運転する車の助手席に乗っていて、交通事故にあったときである。
そのときの思い出話をしよう。
私を助手席に乗せた軽自動車が、交差点に入り右折しようとしたところに、正面から直進車が飛び込んできた。
軽自動車は交差点を弧を描きながら右折していたから、直進車はちょうど、私が弧の突端あたりにいるところに突っ込んできたのである。
「あ、やった!」とハンドルを握っていた部下が叫んだ。
私は口を大きくあけて言葉もなく、衝突の衝撃にフロントガラスやドアガラスに亀裂が入る様を、何かスローモーションの画像を見ているように眺めていた。
しかし、その視線も車の横転とともに目標を失った。
横転した車は、衝突してきた車に押されてガリガリとコンクリを掻き毟り、そして止まった。車の中はハンドルを握っていた部下の上に、私が横倒しに覆いかぶさるような恰好である。
部下が下から叫んだ。
「大丈夫ですか!」
私は我に帰って体の感触を探った。両足がしびれている。右足は動くが、どこかひどく打っているらしい。左足は押しつぶされた車体の中にはさまっていてはずれない。しびれが痛みに変わりはじめた。
私は、左手を横転したドアの把手にかけ、上体をその把手にひきつけながら、体を起こして叫んだ。
「おーい。誰か助けてえ!」
なんとか左足をはずそうとあれこれもがくが、すべて徒労である。部下が下方からいった。
「ガソリンの臭いがする! 火がついたら危ない。足、なんとかなりませんか」
「そんなこというても足が何かにはさまって離れへんわ」
事故現場に居合わせた何人かが駆け寄ってきて、「大丈夫か。怪我はないか」などと口々に呼びかけてきた。
「足がはさまってんねん。痛いねん。頼むわ、誰か助けて。頼むわ!」
私は誰彼構わずひたすら懇願した。
誰かが懸命に車体の前部を叩いている。2~3人が寄ってきて車体を起こしにかかると、車はギシッという音とともにいくらか動くが、この程度の力では元に戻らない。
更なる数人の加勢を得てようやく車体が起きはじめ、やがて「静かに降ろしや」という声を無残に砕いて、ガシャーンという音とともに元に戻った。その衝撃に足の痛みが全身を走って、私は思わず顔を覆い、呻き、大声で助けを求めた。
「助けてくれ。痛いよお!」
私の足は相変わらず車体にはさまれたままである。
「おおい! 何か器具はあらへんか」
「無理に足をはずさん方がいいかもしれんぞ。救急車がくるまで待ったらどうや」などという声が聞こえ、車体をドンドンと叩く音がして、私は身も世もなく「痛い、痛いよお!」と連呼した。
外部から車の部品がいくらか取り除かれて、何かの拍子にオレの足が車体からはずれた。
私はその足で立ちあがろうとしてみるが、私の意思に足が反応しない。ブラブラした感覚と刺すような痛みがある。骨が折れているのだ。私は天を仰いだ。
「がんばれ、大丈夫か」「もうすぐ救急車がくるからな」などと励まされ、これに頷きながら痛みに耐えているうち救急車がきた。
担架が運ばれて、誰かが私の足を持上げ、体ごと車体から引きずり出そうとすると、ゴキッという音がして、私はたまらず呻いた。
脳髄を刺すような痛みである。何か冷たくベトついた感触が右足の膝あたりにあり、その方向に少し顔を上げて見ると、ズボンの上に広く黒いシミのように広がるものがある。血だ!
ようやく担架に乗せられ救急車に入ると、40歳後半かと見える、青白い顔をした女性が、窓わきの椅子に腰掛けてさかんに携帯電話で誰かに連絡している。
衝突してきた乗用車の運転手である。こちらの車を運転していた部下も入ってきた。2人とも体に異常はないようだ。
私は痛みに耐えかねて「ああ、痛い、痛い!」と呻きながら、救急車の内部に備えつけられている把手様のものを左手に握りしめ、「吐き気はないですか。大丈夫ですか」と私に問いかけてくる、若い、まだ見習いかとも見える救急士の手を右手に握りしめた。
コンクリの継ぎ目や段差などの振動に足が疼き、そのたびに頭を左右に振って私は痛みに耐えた。
その痛みの中で救急車内を見回すと、先程の中年の女性は、真っ青な顔つきで声を震わせながら、携帯電話でさかんに誰かと話をし、部下は悄然と肩を落とし、頭を抱えてみじろぎもしない。顔つきは見えないが、落胆と不安が体全体から滲み出ているようだ。
若い救命士は私に片手を握られ、もう片手を所在なげに宙に浮かせて、私の顔を見つめている。何かをしたい、いいたい風だが、何をして、あるいはいっていいのかわからないようだ。経験不足なのであろう。
私は痛みに耐え、呻く合間にこの3人の挙止を追いながら、このとき、奇妙なことにこんなことを考えていた。
(オレの足はどうやらかなり複雑に折れて、なんとも痛くてたまらんが、心理的には彼らよりもオレの方が気楽なんかも知れん。相手の車に非があるか、こちらの車に非があるかはよくはわからんが、どちらに非があるにしてもオレは被害者や。それに比べこの女性や部下は、けがこそないものの、その心理状態たるやたまらんものがあるやろ。この状態を人が見れば、オレは担架の上で苦しみ呻きのたうって、女性や部下はたいしたけがもなく、被害者はこのオレだとみられるやろが、事故の責任、損害賠償、世間からの非難などなど、実は本当の苦しみは彼らのほうがはるかに深いに違いない。この救命士は、今、なすすべもない風情でこのオレに手を握りしめられて竦んでるが、心の中では何を考えてるんやろ。オレのことやろか。それとも昨夜の彼女とのデートのことやろか。救命士の適性って何やろ。この子にはその適性があるやろか)
最後の大きな段差に車が乗り上げて、私が一声大きく呻いた後、救急車は病院に着いた。担架からストレッチャーに移されレントゲン室に向かった。
「ズボンを切ってもいいですか」と問いかけてくる技師に、私は頷き返した。ズボンが切り取られ、レントゲン撮影が始まった。
「ちょっと痛いけど我慢しいや」と、技師が私の足を持ち上げ少しねじると、ゴキッという音が耳元まで聞こえ、私は「やめて、やめて!」と絶叫した。しかし私の叫びに関係なく撮影は続いた。
撮影が終わる頃、院長がやってきた。
院長は、回りから簡単に状況を聞いた後「ちゃんとしたるからな。大丈夫やからな。しっかりしいや」そういいながら、私の右足を堅くさわり、そして思いっきり引っ張った。私はその痛さに飛び上がらんばかりである。
「何すんねん、痛いやんか!」と敬語を無視して罵り叫ぶと、院長は「これでちょっとは楽になったやろ」と平然とおっしゃる。
確かに引っ張られた足が何かにはまった感覚があり、少し痛みが薄らいだようである。折れてずれた骨の1部が元に戻ったのだろうか。
水を飲みたい。喉はカラカラに渇ききり、唇がカサカサに毛羽立ちはじめている。しかし「水を1杯くれ!」との私の嘆願に返事は無情だ。
「ダメ、ダメ。まだ今はダメです。もうちょっと辛抱してください」
レントゲン撮影が終わり治療室に向かった。右足は骨が折れたことに加えかなり深い裂傷がある。その傷口に消毒液を流しかけられると、私は身を焼かれるような痛みにまたもや呻いた。
「痛い、痛い!」
私はこの頃から痛い、痛い、ああ痛い、痛いと、頭を左右に振りながらとめどもなく連呼しはじめた。
どこかに痛みに慣れ始めた感覚があって、声をたてるのを我慢しようと思えばできないことはないのだが、大声でそう連呼していると、なんとなく痛みが和らぐ気がするのだ。
一応の治療が終わり病室に向った。私はストレッチャーの上で、頭を左右に振りながら、痛い、痛いと連発した。
院長が「あんた、少し声出すの、我慢でけへんか。これじゃ他の患者さんが迷惑するで」と私の心情を見透かしたように、呻き声の大きさをたしなめ、そしていった。
「しっかりしいや。ちゃんと、足、直したるからな」
私は思わず聞き返したものだ。
「足は切断しなくてもいいんですか」
「大丈夫、大丈夫。ちゃんと歩けるように直したるから」と院長。
私は、正直、その言葉にすがる思いだった。
(次回に続く)
(毎日かあさん」「ぼくんち」などでおなじみの漫画家西原理恵子さんの元夫で写真家の鴨志田穣さんは、42歳という若さで腎臓癌で死んだ。鴨志田さんは、腎臓癌が見つかる前、アルコール依存症を病んでいた。西原さんは「早く見捨てていればそれだけ回復も早かったかもしれない」と書かれている。アルコール依存症者だけでなく、是非、その家族にも読んで欲しい本。)
もうすぐ、おひな祭りですねえ。
電子出版プラットフォーム「パブー」から、田中かわずのペンネームで、400字詰め原稿用紙で10枚程度の短編小説「桜」「みっちゃんへ」「ピヨピヨ」「ベロの辛抱」、中編小説「おばあちゃんへの贈り物」を電子出版しました。無料です。よかったら読んでね。
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一応の治療が終わり病室に向った。私はストレッチャーの上で、頭を左右に振りながら、痛い、痛いと連発した。
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「しっかりしいや。ちゃんと、足、直したるからな」
私は思わず聞き返したものだ。
「足は切断しなくてもいいんですか」
「大丈夫、大丈夫。ちゃんと歩けるように直したるから」と院長。
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(次回に続く)
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