このオレが何をしたというんや! (その③)
前回と前々回は、交通事故で両足を骨折し、創外固定という手術をしたことを書いた。今回は残った左足の手術の事を書いておこう。
右足の手術が終わった日、午後8時頃、主治医が様子を見にきた。
「どうや、調子は?」
「じんじん、じんじん痛みますわ。腰も痛いし、たまらんですわ」
「もうすこしの辛抱やからな。あんまり痛みがひどいようやったら痛み止めを飲んだらええ。薬は看護婦さんに出すよういってるから。それから左足やけど、裂傷も少ないし、皆で検討した結果、ギブスを巻いて固定することにした。これでもう今日みたいな痛い目をすることはないからな」
(左足は手術せんでもいいんや!)
私ははそれを聞いて、心の底から安堵のため息をついた。
これで手術は本当に終わったのである。しかし、その私の安心しきった心に冷水を浴びせるように、主治医はこういった。
私は愕然としながらその声を聞いた。
(この先生、人の気も知らんと平然としてよういうわ。人を天国に上げたと思たら、今度は奈落の底かいな)
しかし、私は俎板の鯉である。その言葉にうなだれるしかない。
夜中にすこしウトウトして、ジンジンする足の疼きに目覚めた。
創外固定とは、実際にはどんなものなのか、まだ私は見ていない。
体を持上げ、恐る恐る毛布をめくってみる。しかし右足の膝下あたりから足首にかけて、何かの器具がしっかり固定されているのはわかるが、その固定器には包帯がぐるぐる巻かれているため、全体像がよくわからない。
重い。この器具はとにかく重い。足は上げようと試みてもびくともしない。心臓の鼓動に合わせて、ジンジンジンジン足が痛む。その痛みは体全体に伝わり、遂には脳髄を侵食していくようだ。
私には、こいつから逃れる術はない。私はただ、今を耐えるだけである。辛く恨めしい。
しかし、こいつに私の右足は侵蝕されているが、私には希望がある。足が直るという希望がある。私はその希望に縋って今を耐えた。
私は森閑としたこの闇の中で、単調な空調の音を聞きながら、両足をつなぎとめられ逃れ得ないわが身を思い、何かから逃れられないことに狂うという心情に思いをめぐらせたのだった。
2回目の手術はその3日後だった。あれから主治医の言葉を反芻しているうちに、私の心の中に徐々に不安が募ってきた。
(もう一度、右足を手術するというのは、ひょっとすると1回目の手術が失敗したからやないか。主治医はそれを糊塗するためにあんな気楽な口調で、オレに再手術の必要性を伝えたんやないか。あの言葉には裏に隠された何かがあったに違いない。そういえば心なしか主治医の口調は震えてはいなかったか。いったいこの病院のインフォームドコンセントはどうなってるんや)
しかし、私はその増幅する思いを断ち切ろうとした。後から考えれば他の選択肢も考えられたのだが、あのときはどうもがこうとも私に残された選択肢は、この足を手術することしかないように思われたのである。
手術は午後3時からだと聞かされた。午後2時すぎに義兄が嫁さんに替わって、手術の付添いにきてくれた。
災いは重なるときは重なるもので、私が事故にあった2日後、息子が肺炎で入院し、嫁さんはその看護で手一杯だったのである。
事故の状況や手術のことをあれこれ義兄に話すうち、手術の予定時間が過ぎて、3時30分になった。
第1回目の手術はちょうどこの頃だったことが思い出され、私の動悸は一挙に高鳴り、何か息苦しくなってきた。
廊下を通り過ぎるるストレッチャーの音や医者や看護士らしい人の話声が聞こえてくると、また「あのとき」が遂にきたのかと身が縮む思いだ。
私は義兄に「インフォームドコンセントということもあるから、なぜ右足を再度手術しなければならないか、よくよく主治医に聞きたい。義兄さんも一緒によろしくお願いします」と頼み込んだ。
未明からやけにまだ手術をしていない左脚が疼いている。たまらずベッドの右の手すりに両手をかけ、思いっきり上体を手すりの方に引きつけると、すこしばかり疼きがおさまるようだ。
4時を過ぎてもまだ呼び出しはない。長い長い時間が過ぎていく。午後5時頃、看護士に問い合わせると「今、別の手術が入っている」との返事である。
5時30分になる。蛇の生殺しとはこのことである。恐怖は増幅する。私はまた「あのとき」を思い出し、あの痛みに必死に耐える訓練を、ベッドの上で何度も何度も繰り返した。
6時になった。私はこの頃から、誰かが「手術は後日に延期する」と告げにくることをひたすら期待しはじめた。
後日にしたところで同じことをやる訳だから、それは単なる時間の引き延ばしに過ぎないことはわかっているが、あの手術の苦痛を思うと、数分でも数秒でもいい、手術を先に延ばしたかったのである。
しかし、私のそんな思いを打ち砕くように6時30分過ぎに「お待たせしました。これから手術室にいきましょう」と数人の看護士が、勢いよく部屋に入ってきた。
遂にそのときはやってきたのである。私をベッドからストレッチャーに移動しようとする看護士に「先生は?」と尋ねると、手術室だという。
私は出鼻をくじかれた思いで、それじゃ手術室で主治医から説明を聞こうと義兄に同道を求めた。
手術室にそのまま入ろうとする看護士を制して、今日の手術の説明をよく聞きたいのでここに主治医を呼んで欲しいと頼むと、やや不信な面持ちで看護士が手術室に入り、少し間をおいて、手術衣を着た主治医が出てきた。
私は、たまらずこう聞いたものだ。
「先生、第1回目の手術が失敗したのでやり直すんやないんですか。正直にいってください」
その私の問いに、主治医は苦笑いしながらいった。
「本当に補強するだけですよ。私を信じてください」
私は何かを訴えたいがその何かがどうしても見つからず、ただうなだれるばかりだ。
私に救いの目を向けられた義兄が、主治医にこう聞いた。
「先生、本人が不安がっているんです。なぜ、追加手術が必要であるのか、もう少し具体的に説明してやってくれませんか」
「困りましたねえ。この前の手術の後、レントゲンを見て、みんなで検討した結果、6本では固定状態が不安定だということになったんですわ。やはりしっかり固定しとかんと、後々が心配やからね」
「この前の手術が失敗やったということではないんですね」
「そんなことは絶対にありません。手術は問題なく終わったんやけど、後でレントゲンを見て・・・。こういうことはままあるんですよ」
義兄が私を見た。目がどうしよう? と私に問いかけている。
ここは主治医を信じるしかない。私は観念した。
「義兄さん、もういいです。先生、わかりました。よろしくお願いします」
手術室に入ると、中央でこうこうと輝く白色燈が、またもや私を招いている。
手術衣に身を包んだ医師やら看護士が、手順どおりに声を掛け合いながら、私を手術台へと導いた。
そこにはこの前の手術そのままに、手術台と手術台から延ばされたアームがあり、私の手はまたもやそのアームに縛りつけられ、そしてあのおぞましくも過酷な手術が始まったのだった。
(あと1回 その④に続くかも)
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