このオレが何をしたというんや! (その④)
前3回では、交通事故にあって両足を骨折し、創外固定という過酷な手術をしたことを書いたが、今回はその創外固定器を取り外したときのことを書く。これが最後。お付き合いいただきありがとうございました。
こうして右足に創外固定を、左足にギブスを巻いた私は、この後、別の病院に転院し、再度両足の手術をすることになったのだが、その手術は全身麻酔で行なわれたから、事故直後や創外固定時のような痛みにはもう出会うことはなかった。
しかし、転院して後の再手術の前に行われた創外固定器の取り外しは、痛みという意味ではたいしたことではなかったが、何か忘れられぬ記憶として私の心の中にある。
そのためにはまずギプスと創外固定器を取り外さなければならない。ギプスの取り外しは簡単だが、創外固定器の取り外しは厄介である。なにせ8本の鉄棒が、足の骨の中に打ちこまれているのだから。
主治医は病室にきてこういった。
「骨は神経が通っていないから取り外しても痛みはないよ。創外固定をするときは苦しかったやろが、これをはずすときは、その痛みは固定するときの1000分の1ぐらいやから何も心配ない。手術室でやるほどのことやないから、このベッドの上でやろう」
私はその言葉に半信半疑だった。
(いくら骨に神経が通っていないからといって、その骨に打ち込まれた鉄棒を引き抜くんや。痛くないはずがない。あの手術のときのようにえらい目にあうかもしれへん。前の病院では随分騙されたから心した方がいい。ベッドでやるからといって安心なぞできやしない)
やはりその予想は、半分は当たっていたのである。
再手術の2日前、主治医と若い研修医が病室にやってきて、さあこれから固定器をはずしますと宣言し、取り外しが始まった。
下半身の下にナイロン様のシートが敷かれ、ついで8本の鉄棒を連結している、わっか様の器具がスパナか何かの器具で外されていく。
その連結器具が取り除かれると、そこには足に埋め込まれた8本の鉄棒が、まるで田畑に打ち立てられた杭のような姿を現す。
私は恐る恐るそれを見た。
これまでは連結の器具やガーゼに遮られていたから、鉄棒がまさに私の皮膚を突き通しているのを見るのは初めてである。私は思わず生唾を呑み込み、目をそむけたものだ。
さあ、これからこの鉄棒を1本1本抜いていくのである。
「これはなかなか固いな」などと研修医に話しかけながら、主治医はネジを回しはずすような要領で、鉄棒を引き抜いていった。
なんともいえない感触がある。何かがヌルッと抜けていくようで、そのときは痛みはないが、ねじった拍子に鉄棒と皮膚とが擦れ合うとチリチリと痛みが走る。
確かに鉄棒を固定するときの痛みに比べれば雲泥の差であるが、それでもやはり痛い。私は気色悪いやら痛いやら、タオルで顔を覆いながら鉄棒が抜かれるたびに小さく呻いた。
病室は大部屋である。同室の患者が息を潜めて様子を窺っているのがよくわかる。主治医が若い研修医に「こうやるんや、一回やってみい」といった。
私はタオルの端を噛んで心の中で罵ったものだ。(オレはモルモットか!)
「本当に固いですねえ」とは研修医。
鉄棒を無理にひねったのだろう、そのひねりに合わせて足全体が引っ張られ、オレはたまらず「アイタタ!」と大きく声を上げた。
「お、すまん、すまん、痛かったか」と主治医が研修医にかわって謝った。
私は思ったものだ。
(こんなこと、手術室とはいわんけど、せめて病室じゃなく処置室でやってくれよ。見てみいな、病室のみんなが、オレの声とアンタらの仕種にこんなに静かに聞き耳をたててるやないか!)
40分ほどかけてやっと半分の4本の鉄棒が抜かれ、思いのほか手こずったのだろう、主治医がちょっと休憩しようといった。
主治医と研修医がナースステーションに消えるのを待ちかねたように、この病室で親しくなった隣りのベッドのおっちゃんが、カーテンをそっと開けながら、私の足を見てこういった。
「すごいなあ、その足。えらい立派な鉄棒が入ってるやんか。これ抜いてたんか。みんな、何事やろうと思うたぜ。えぐいことするなあ、先生も。こんなん病室で抜くなんて何考えてんのやろ。こっちまでえらい迷惑やで。あんたのうめき声でみんなたまらん。嫁さんとのあのときの声みたいやで」
悪気はないのである。ひょっとするとこれで、私を慰めているつもりなのかも知れない。しかし、私に笑い返す余裕はない。私は、もう少し、もう少しやと自分自身を励ますばかりだ。
主治医らが休憩を終えて作業が再開された。
「固いなあ。肉が棒にまきついてるんちゃうか」
「この皮膚、少し切りましょうか」と研修医。
(冗談やない。勝手に切られてたまるか!)
私が、またもや心の中で研修医を罵ったちょうどそのとき、鉄棒がスムーズに抜けないことにイラだったものか、主治医がぼそっと小さく一人ごちた。その声を私は確かにこう聞いた。
「わざわざこんな創外固定なんて旧式なこと、せんでもよかったのになあ」
その言葉は私の心のどこかに確かに突き刺さったが、私はそのときはとにかく処置が早く終わって欲しい一心で、(もう少しの辛抱や、頑張れ、頑張れ!)そう念じるばかりだった。
あとの4本は20分ほどで抜けた。しめて1時間近くの格闘だった。
これは後日の話。鉄棒を抜いて両足の手術が終わった後、職場の先輩が見舞いにきてくれ、こんなことを私にいったことがある。
「ホンマにこの病院に代われてよかったなあ。おまえが担ぎこまれたあの救急病院、地元では風邪以外では入院したらあかんていわれてるらしいぜ」
2度にわたった手術、あの病院でのいろんなこと、創外固定器を取り外したときの主治医の言葉などが脳裏に浮かんで、私にはその言葉に得心するものがあった。
(何か引っかかるもんがあったけど、やっぱりそういうことやったんか)
しかし、私はその思いを心の中に封印した。
(もういいやないか。オレはあの手術で足を切りとられた訳やないんやし、こうして無事に再手術も終わったんやから)
私はこのとき、あの過酷な手術が、実は無駄な手術で他にも適切な対処の仕様があったなんてことは、考えたくもなかったのである。
これが事故とそれに続く手術で、私の味わった痛みの一部始終である。、事故から10年近く経った今でも、事故の瞬間やあの過酷だった手術の情景は、瞼を閉じればまざまざと思い起こすことができる。
しかしその情景がこれまで一度も夢の中に現れたことがない。不思議に思っていた矢先、私はこの文章を書いた昨夜、こんな夢を見た。
夢の中でも私は眠っていて、その眠りから目覚めると、ベッドに堅く縛りつけられている。
何かカチャカチャいう音が足元でするので首を持ち上げると、そこには白衣とマスクに身を包んで、目だけを異様に光らせている数人の医師と看護士がいた。
医師の手にあるのはなんとノコギリだ。看護士はというと、手に手に斧を握っている。私はそれを見るなり、恐怖のために「助けてくれ! 一体このオレが何をしたというねん!」そう声を限りに叫んだ。
場面が一転する。
私は手術台の上に座ってうな丼を食べている。見るとベッドの回りで医師や看護士がビールを飲みながらニコニコ笑いあっていて、その中のひとりが私にこういった。
「どう、あなたも一杯いかが」
私は喉がカラカラに干上がっていることに気づき、そのビールを奪うように受け取ると、一気に喉に流し込んだ。
場面がまたもやぼやけて一転し、今度は私は病室のベッドの上である。
傍らの椅子には嫁さんが腰掛けていて、何か盛んに私に話しかけてくる。その声を遠くに聞きながら、そのうち私はまた眠りにつく…。
未明に目覚めて(けったいな夢なったなあ)と、私はふとんの中で一人ごち、確かにここがふとんであることを確認し、次いで腰の下には両足がちゃんとついていることに安心して、昨夜、当時を思い出して詠んだ戯れ歌のひとつを頭に浮かべたのだった。
はや1年 食べたいものはと 聞かれたら うな丼 肝吸い ビールは必ず
(これで、本当に終わり)
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