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否認再び - 最近のトピックスや弁当作り・断酒生活そのほかもろもろ日記

否認再び

 私は、この間、アルコール依存の「否認」について、自分なりの整理をしてみたいと思って、このブログに3回ほど記事を書きました。
 
 それは、ちょうどsyousukeさんが「否認」についてブログにアップされたときと前後したので、何度もsyousukeさんの記事を読みなおしながらその考えに納得し、いわば、私の場合は、その考えを教科書的に敷衍するようなつもりで書いたのでした。

 syousukeさんは第2の否認について、こう書かれています。
 

 アルコール依存症という病気を認めて酒を手放しても、酒に頼らなければ生きていけなかった本来の心の病を放っておいて本当の回復はない。自分勝手なわがまま気ままな生き方自体、病んだ精神の成せる業。その根っこの病を認めないこと、これを第二の否認と呼んでいます。
 アルコール依存症、酒を止めるだけでも大変なことなのに、まだそれ以上に取り組まなければならない問題山積みの心の病です。


 一方、その後、棚の上さんも2回にわたって「第2の否認」について取り上げられ、かなりきつい調子で、このsyousukeさんの考えを批判されています。
 
 該当部分を無断で引用させていただきます。こうあります。

 「第二の否認」として「酒をのまないでは生きていられなかった理由と向き合うべき」と言う人がいるが、例えば生い立ちや生活苦などが原因だとして、それと向き合ってみてどうなるというのか。
 原因・理由を過去に遡って取り除くことはできないから、それを乗り越え、克服することだということになるのだろうが、それはまた別の問題であろう。
 その原因なるものの故に「酒を飲まないでは生きられなかった」という考え方に間違い(もっとはっきり言えば「甘え」)があるように思えてならない。


■ 断酒会のいう「第2の否認」とその解除

 ところで、「第2の否認」という言葉。これはsyousukeさん流に書くなら、アルコール依存の「業界」用語です。アルコール依存「業界」で、それも「断酒会」という自助組織でのみ通用する言葉です。

 私も断酒会に入会するまでは、このような言葉を知りませんでした。ましてや、「第2の否認の解除」という言葉にいたっては、はて、なんのことやらさっぱりという感じでした。

 第2の否認の解除とは、第2の否認の克服の意味ですが、今でも、なぜ解除などという言葉をわざわざ使おうとするのか私にはわかりません。何か、事柄を難しく難しく表現しようとしているようにさえ思えます。

■ 断酒新生指針

 それはともかく、第2の否認です。これは断酒会の「断酒新生指針」と深く関わっています。

 断酒新生指針はこうです。

1 酒に対して無力であり自分一人の力ではどうにもならなかったことを認める。
2 断酒例会に出席し自分を素直に語る。
3 酒害体験を掘り起こし、過去の過ちを素直に認める。
4 お互いの人格に触れ合い、心の結びつきが断酒を可能にすることを認め、仲間たちとの信頼関係を深める。
5 自分を改革する努力をし新しい人生を創る。
6 家族はもとより、迷惑をかけた人たちに償いをする。
7 断酒の歓びを酒害に悩む人たちに伝える。


 この指針の4番以下を実践することを、断酒会では「第2の否認の解除」といっているわけです。

 つまりは、断酒するだけでなく、飲酒をしていた頃の自分の生きかたをあらためて、新しい人生を創り、これまで迷惑をかけてきた家族や近親者、友人などに償うとともに、断酒する歓びを人々に伝えていくことこそが大切だというのです。
 
 そのことに思いいたらず、断酒さえ実践すればもう何も問題はないという考えは、自身がアルコール依存症だったことを否認することにつながると考えるのです。


■ ちょっと極端な例だが

 ちょっと極端な例で考えてみます。家庭的にも社会的にも人格的にも立派に生きている人がいて、毎日、家の帰ると一人静かに酒を飲み、そのうちアルコール依存に陥ったとします。

 それでもその人は、依然として家庭的にも社会的にも人格的にも立派な生き方を続けているという場合、その人には、断酒会のいうところの第2の否認の問題は起こってきません。酒さえやめればいいだけです。

 まあ、そんな稀有な人がいてるかどうか。大抵はアルコール依存に陥れば、家庭や近親者を苦しめ、勤め先にも迷惑をかけ、自身も苦しみながら、それでもアルコールから離れることができません。断酒会に入会するまでにいたった人は、大概がそのような過程を経ているのだと思います。

 だからこそ、断酒するだけではいけないのです。断酒が自身にしっかりと根付くまではそれだけでもいいかもしれないけれど、それ以降は断酒を継続するだけでなく、新しい生き方を生きることで、過去を償い、その経験を社会に役立てていかなければならないというのです。

 断酒会が「第2の否認」という場合、その否認の内容は、アルコール依存に陥って、家庭や近親者、友人を苦しめ、果ては社会に害悪をも及ぼしてきたことです。

 そのことを思いいたらず、酒さえやめればそれでいいというのでは、本当の断酒をしたことにはならない、すなわちアルコール依存であることを否認しているというのです。

 これが、アルコール依存「業界」でいう、アルコール依存の第2の否認とその解除の意味だと思います。

 上に掲げたsyousukeさんの第2の否認の説明は、syousukeさん独特の言い回しで書かれていますが、根っこの考え方は断酒会のいう第2の否認を踏まえてのことだと思います。

 が、そのような言い回しがやや誤解を生んでいるのかも知れないとも思います。

 棚の上さんが、「断酒後のスリップ(=再飲酒)の要因までをも「否認」(いうところの「第2の否認であっても」とすることには若干違和感がある」と書かれているのも、多分、syousukeさんのそんな言い回しにあるのではないか、そんな気がします。

 断酒会もsyousukeさんも、断酒後のスリップと第2の否認を直接結び付けて考えてはいないと思います。
 
 本当の意味での断酒をするためには、酒をやめればいいという考えだけでは不十分だ、それは本当の回復にはつながらないといっているのだと思います。

 もちろん、第2の否認を続けていれば、それがスリップにつながる可能性はおおいにありうると思いますが・・・。

■ 議論は噛み合っているだろうか。

 ここまで書いて、再度、棚の上さんの反論を読んで思ったのですが、ひょっとしてこの議論は噛み合っていないのかもしれません。

 先にも書いたように、第2の否認とはアルコール依存「業界」だけに通じる専門用語です。その意味するところが一般社会の中で広く承認されているわけではありません。

 そういう限定された「業界」用語の意味するところは上に書いたようなことだと私は思っていますが、そこに議論が噛み合っていないと感じる理由があるのかもしれません。

 よくわからなくなりました。すみません。断酒ブログ村の住人のどなたかの意見もお聞きしたいですね。




        


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断酒会のなかで、機能不全家族に育ち、それを飲んできた理由にされ、いい年代になりながらもいつまでも脱皮出来ない方がいます。
大変不幸なことではありますが、いつまでも自分以外の責任としている限り、何時でも再飲酒の可能性があります。
過去は変えられませんが、過去の意味合い捉え方は変えることができ、それが出来れば、よりよく生きる方策はあるかと考えます。
断酒会の解釈でいいと思います。これに添って、生き方を変えていきたいと思っています。
まあ、罹患前、後とも、精神の健康なアル症もおられますね。
稀です。




2013-02-19 10:29 from yamadagaga | Edit

「底つき」の経験

お邪魔致します。アル中の彦六です。
断酒会の回復の段階って、AAの12のステップに似てますね。私は12のステップの内、① ② ③ しかやっておりません。 自分の過去の「棚卸し」をしたら後悔と罪悪感が・・・
当然、「自分が迷惑を掛けた人達に、相手が迷惑にならない範囲での埋め合わせ」も出来ていません。
不愉快ならば読みとばしてください。 断酒継続の出来てるアル中、健康を取り戻したアル中は 「断酒の出来ているアル中の死」 「スリップしたアル中の入院や死」 を見て行く事になります。
私事ですが、仲の良かったアル中の死、偶然ですが、学校の後輩の死を見て来ました。
貴殿もこれから自助会に通えば、仲良くなったり、断酒出来てる「アル中」仲間の死を見るでしょう。
残酷な「病気」・「底つき」です。
もしかしたら見せる立場になるかも知れません。
アルコール依存症って、そういう病気なんです。

2013-02-20 18:12 from アル中の彦六

おはようございます。
yamadagagaさんのところからこちへ回ってきて驚きました。
えらい飛び火していますね。(汗)

我々アル中の回復には段階があるのだと思っています。そしてその時期によって考え方は変化していきます。考え方というものが心の回復と連動しているからでしょう。当然、ひとつひとつの『言葉』に対する解釈も経年変化していくので、アル中同士、かみ合わないことは多々あって当然なのだと思います。だからこそ、言いっぱなし、聞きっぱなしのルールーが生まれたのだと思っています。

いつも巡回、ありがとうございます。
コメ返しもせずに申し訳ないです。

2013-02-21 07:20 from syousuke | Edit

彦六さんへ。
私のみじかに出会ったアル中の死といえば、親父と弟です。
といっても、親父は断酒会に入ってアルコールをたって
十数年後のことで、穏やかな死でした。
弟は、東京で一人暮らしをしていて、アパートでクモ膜下出血で
死んだのでした。
酒酒会では、まだ、仲間といえる人はできていないのですが、
これから、彦六さんのいわれるように、いろんな死に出会うことに
なるのでしょうね。辛いことです。
それが自分かもしれない。
A・Aのことは、まったく知りません。
茨木駅の近くに会場があるのは知っているのですが、何か足が向かなくて…。

2013-02-25 05:42 from 浪花太郎

syousukeさんへ

yamadagagaさんのところからおいでいただいたとのこと。ありがとうございます。
yamadagagaさんのブログは、私も好きでちょこちょこ遊びにいきます。
syousukeさんの言葉には重みを感じます。
いろいろ考えさせられることばかりです。
断酒歴はまだひよっこです。これからが大切だと思っています。

2013-02-25 05:48 from 浪花太郎

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