アルコール依存な人たち(岡八郎 後編)
八郎の奥さんが自殺したのは、娘さんの裕子さんが16歳のときだった。奥さんの死で、八郎はますますアルコールに依存するようになり、岡家は荒れに荒れた。
まだ幼い裕子さんに岡家をまとめていくことは難しい。優子さん自身にも個人的に苦しい問題が生じ、渡米を決意する。一時帰国するが、1996年には逃げるように再渡米。
それから、ブルックリン・クイーンズ音楽院でブラックミュージックを本格的に学び、ゴスペルシンガーへの道を歩むことになる。
この裕子さんの渡米は、母を、そして弟を死に追いやり、一家を崩壊に導いた父、それでもアルコールを止めることのできない父、八郎に対する恨みを深く心に刻みつけてのものだった。
しかし、裕子さんは、黒人教会で、相手を尊重し自分自身を愛することの大切さ、自分を傷つけた人たちを赦すことの大切さを学ぶことになる。
「人を恨んでも自分の心ががすさんでいくだけ。赦すことで初めて解き放たれる」
一時は八郎を恨みに恨んだ裕子さんも、黒人教会で、人を赦し、自身を愛する大切さを実践する人々と深く交わる中で、ようやく八郎への恨みを解いて、ゴスペル歌手として帰国してきたのだった。
一方、八郎もアルコール依存による息子の死、脳挫傷の後遺症に苦しむ中で、もう一度、舞台に立ちたい思いを募らせ、そのためには酒をやめうしかないことにようやく気づいて、断酒を決意する。
それからは、弟子のオール阪神・巨人、おかけんた・ゆうたや断酒会の仲間たち、アメリカから帰国し親娘の絆を取り戻した裕子さんとの支えを得て、懸命にリハビリに励んだ。
■ 復活リサイタル
そして遂に、2002年(平成14年)12月18日、芸能生活45周年記念リサイタル「岡八我王(ガオー)伝説」を行うまでに回復したのである。
この公演で、八郎と優子さんは父娘漫才を演じている。
脳挫傷による記憶障害は、役者としての再起にとって致命的だったが、八郎は、こうして裕子さんやオール巨人・阪神、断酒会の仲間たちの厳しくも温かい見守りと援助の中で、自身最後となる舞台に立ち、その3年後、帰らぬ人となったのだった。
八郎の臨終の様子を結子さんはこう語っている。
危篤になった亡くなる一日前は、丁度、オール巨人さんが父の元に30年前にお弟子さんに来られた記念日でした。神様は全ての事に時を備えてくださいます。早朝、マンションの前で倒れていた父を発見したのは私でした。丁度、前日の午前5時20分でした。父は、丸24時間という時間を神様に与えられ、親戚、お弟子さん、吉本の人達にお見舞いに来て頂き、そして、最後、私の声を出して読んだ聖書の御言葉で、天国に行きました。
「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。 こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。」(ヨハネによる福音書14:1-3)
天国があるということを信じて、神様を信じて、心配せずに父はイエス様の元に行ったと、私は信じています。
(「市岡裕子オフィシャルブログ」から引用→参照)
穏やかな死に顔だったことだろう。黙して瞑目。
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