桜の下でのビールの思い出
■ そろそろ春ですね
まだまだ寒い日が続いているが、春はすぐそこ。足音が聞こえてきた。
職場の庭の梅の花も、もう早、桜の蕾に追い立てられるように、その彩りを失いかけている。

(職場の梅)
■ 桜とビール
桜では思い出すことが多い。10数年前に交通事故にあって、両足を骨折し、1年近くの入院生活、リハビリ生活を余儀なくされたときの桜とビールの思い出を書いておこう。
私が入院していた病院の敷地内に7~8本の桜並木があり、それは私の病室から眼下に見えた。
そろそろ蕾が膨らみかけたなあ。あのつぼみが、いの1番にはじけたぞ。ちらほら咲きも梅の花みたいでいいもんやなあ。ほう、5分咲きともなると、上から見ると、地面に桜絨毯を敷きつめたようやなあ、などと、窓越しに楽しんでいたのだが、桜が6分咲きになったとき、私は思いついた。
(そうや、あの桜の木の下で花見をしながら昼食を食べよう)
翌日、昼食が運ばれてくると、私はごはんとおかずをそれぞれラップに包み、タッパーに詰め込んだ。
即席の花見弁当である。もちろんポットの中には、病院の正面にあるコンビニでこっそり買ったビール。それをもって桜の木の下のあの偏平な石積みの上に腰掛けて、花見をしながら食事をしようという訳である。
この日から。私は、6分咲きの頃の、桜花の合間に見える目にしみるような青空や、立ち騒ぐ風に花びらが舞いはじめた7分咲きの桜花、雨に洗われ花の散るのを心配させた8分咲きの桜花、ピンク色に盛り上がり、青空の中に競り上がるようだった満開の桜花、そして地面に白一色に敷きつめられ、まるで白い妖精のように風に踊る桜花の絨毯の光景を、毎日、楽しんだのだった。
そこはまさに、私1人のための花回廊だったのだ。
満開となった桜花が熟れ落ち、風にあおられ、花吹雪となって地面に敷きつめられたその日の花見は、私1人ではなかった。
ちょうど1週間前に、夫をガンで亡くし、葬儀を済ませて病院の誰彼にあいさつをしにきたOさんが一緒だったのである。
Oさんの夫Eさんは、私の隣の病室にいた。65五歳。膀胱ガンだった。Eさんは知らないようだったが、夫が膀胱ガンでそう長い命ではないことをOさんは主治医から知らされていた。
Eさんは、病魔に冒されて痩せこけてはいたが、往年の荒技を偲ばせるに十分なほどに、まだ精悍な何かを体の隅々に残していた。
点滴の支柱を支えにしながら、その痩せこけた体躯を奮いたたせるように、毎日、喫煙コーナーにいくのだったが、その後ろにはいつもOさんがEさんを見守るように付き添っていた。
Eさんの死は突然だった。誰もが昨日はいつにもまして元気に、みんなと話し合っていたのに、どうしてあんなに急に容体が変わったのかと噂しあった。
そうである。あれは命の残り火だったのだ。しかしそれが残り火であったことは、死の後になって始めてわかることである。死はこのように予告もなしに、ある日、突然にやってくるものなのだ。
しかし、長い夫の看護の中で、Oさんには既に覚悟があった。Oさんは、夫の突然の死を静かに受入れ、そしてこうして、今日、私と一緒に桜花びらの舞い落ちる中で、花見をしているのである。
この日、Oさんは静かな口調でEさんとの来歴を私に語った。
姉さん女房で、歳が8歳も違うこと、Oさんが水商売をしていて知り合い、愛し合うようになったこと、Eさんは自分の腕1本で生きてきた渡り職人で、若い頃には極道の道にも入りかけたことがあり、危うくOさんも極妻になるところだったこと、ふるさとへの便りもしないまま2~3年の間、流浪生活を送り、実家ではあいつは死んだものと諦めようと言い交わしていた頃、EさんはOさんを連れてふるさとに帰ったこと、そしてそのときのひっくり返したような騒ぎとその顛末、2人の子どもを生んだあとの夫の放埒や子育ての苦労などなど。
そんなこんなをOさんは淡々と語り、私はそれに笑い返したり、驚いたり、深く頷いたりしながら、2人のたどってきた人生を心にしみ入るように聞いた。聞きながら、私の目にはただただ風に舞う桜花びら。
Oさんは最後にこんなことをいった。
「あの人とは、死ぬの別れるのといがみあったり、殺したいほど憎んだりしたこともあったけど、こうして死んでしまうと、あの人との人生も悪くはなかったという気がするから不思議やね。あんたとこうしてこんな桜の舞う中で、あの人のことを話せて、本当に今日はいい供養になった。ありがとう」
私はその言葉を聞きながら、なぜか胸が詰まった。
膨れる思いを隠して、Oさんの紙コップにビールを注いだその手を返し、私のコップに最後のビールを注ぐと、その泡の中に舞い落ちてきた数枚の桜花びら。
私はそれをビールともども一気に飲み干したのだった。
私の、きっと人生の中で1度っきりだろう、こんな花見は、葉桜の季節を目の前にして、この日終わったのである。
そのとき詠んだ3首。
逝く人の 思い出語れば ハラハラと 桜花散り 仰ぎて瞑目
風に揺れ 風に舞い散る 桜花 ふと見上げれば 目に染む青空
桜花 舞い落ちてきて ゆらゆらと ビールの泡に 立ち泳いでる
(毎日かあさん」「ぼくんち」などでおなじみの漫画家西原理恵子さんの元夫で写真家の鴨志田穣さんは、42歳という若さで腎臓癌で死んだ。鴨志田さんは、腎臓癌が見つかる前、アルコール依存症を病んでいた。西原さんは「早く見捨てていればそれだけ回復も早かったかもしれない」と書かれている。アルコール依存症者だけでなく、是非、その家族にも読んで欲しい本。)
もうすぐ、おひな祭りですねえ。
電子出版プラットフォーム「パブー」から、田中かわずのペンネームで、400字詰め原稿用紙で10枚程度の短編小説「桜」「みっちゃんへ」「ピヨピヨ」「ベロの辛抱」、中編小説「おばあちゃんへの贈り物」を電子出版しました。無料です。よかったら読んでね。
エッセイ「オレのリハビリ日記」をパブーから有料で電子出版しました。300円です。よかったら買って読んでね。
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まだまだ寒い日が続いているが、春はすぐそこ。足音が聞こえてきた。
職場の庭の梅の花も、もう早、桜の蕾に追い立てられるように、その彩りを失いかけている。

(職場の梅)
桜では思い出すことが多い。10数年前に交通事故にあって、両足を骨折し、1年近くの入院生活、リハビリ生活を余儀なくされたときの桜とビールの思い出を書いておこう。
私が入院していた病院の敷地内に7~8本の桜並木があり、それは私の病室から眼下に見えた。
そろそろ蕾が膨らみかけたなあ。あのつぼみが、いの1番にはじけたぞ。ちらほら咲きも梅の花みたいでいいもんやなあ。ほう、5分咲きともなると、上から見ると、地面に桜絨毯を敷きつめたようやなあ、などと、窓越しに楽しんでいたのだが、桜が6分咲きになったとき、私は思いついた。
(そうや、あの桜の木の下で花見をしながら昼食を食べよう)
翌日、昼食が運ばれてくると、私はごはんとおかずをそれぞれラップに包み、タッパーに詰め込んだ。
即席の花見弁当である。もちろんポットの中には、病院の正面にあるコンビニでこっそり買ったビール。それをもって桜の木の下のあの偏平な石積みの上に腰掛けて、花見をしながら食事をしようという訳である。
この日から。私は、6分咲きの頃の、桜花の合間に見える目にしみるような青空や、立ち騒ぐ風に花びらが舞いはじめた7分咲きの桜花、雨に洗われ花の散るのを心配させた8分咲きの桜花、ピンク色に盛り上がり、青空の中に競り上がるようだった満開の桜花、そして地面に白一色に敷きつめられ、まるで白い妖精のように風に踊る桜花の絨毯の光景を、毎日、楽しんだのだった。
そこはまさに、私1人のための花回廊だったのだ。
満開となった桜花が熟れ落ち、風にあおられ、花吹雪となって地面に敷きつめられたその日の花見は、私1人ではなかった。
ちょうど1週間前に、夫をガンで亡くし、葬儀を済ませて病院の誰彼にあいさつをしにきたOさんが一緒だったのである。
Oさんの夫Eさんは、私の隣の病室にいた。65五歳。膀胱ガンだった。Eさんは知らないようだったが、夫が膀胱ガンでそう長い命ではないことをOさんは主治医から知らされていた。
Eさんは、病魔に冒されて痩せこけてはいたが、往年の荒技を偲ばせるに十分なほどに、まだ精悍な何かを体の隅々に残していた。
点滴の支柱を支えにしながら、その痩せこけた体躯を奮いたたせるように、毎日、喫煙コーナーにいくのだったが、その後ろにはいつもOさんがEさんを見守るように付き添っていた。
Eさんの死は突然だった。誰もが昨日はいつにもまして元気に、みんなと話し合っていたのに、どうしてあんなに急に容体が変わったのかと噂しあった。
そうである。あれは命の残り火だったのだ。しかしそれが残り火であったことは、死の後になって始めてわかることである。死はこのように予告もなしに、ある日、突然にやってくるものなのだ。
しかし、長い夫の看護の中で、Oさんには既に覚悟があった。Oさんは、夫の突然の死を静かに受入れ、そしてこうして、今日、私と一緒に桜花びらの舞い落ちる中で、花見をしているのである。
この日、Oさんは静かな口調でEさんとの来歴を私に語った。
姉さん女房で、歳が8歳も違うこと、Oさんが水商売をしていて知り合い、愛し合うようになったこと、Eさんは自分の腕1本で生きてきた渡り職人で、若い頃には極道の道にも入りかけたことがあり、危うくOさんも極妻になるところだったこと、ふるさとへの便りもしないまま2~3年の間、流浪生活を送り、実家ではあいつは死んだものと諦めようと言い交わしていた頃、EさんはOさんを連れてふるさとに帰ったこと、そしてそのときのひっくり返したような騒ぎとその顛末、2人の子どもを生んだあとの夫の放埒や子育ての苦労などなど。
そんなこんなをOさんは淡々と語り、私はそれに笑い返したり、驚いたり、深く頷いたりしながら、2人のたどってきた人生を心にしみ入るように聞いた。聞きながら、私の目にはただただ風に舞う桜花びら。
Oさんは最後にこんなことをいった。
「あの人とは、死ぬの別れるのといがみあったり、殺したいほど憎んだりしたこともあったけど、こうして死んでしまうと、あの人との人生も悪くはなかったという気がするから不思議やね。あんたとこうしてこんな桜の舞う中で、あの人のことを話せて、本当に今日はいい供養になった。ありがとう」
私はその言葉を聞きながら、なぜか胸が詰まった。
膨れる思いを隠して、Oさんの紙コップにビールを注いだその手を返し、私のコップに最後のビールを注ぐと、その泡の中に舞い落ちてきた数枚の桜花びら。
私はそれをビールともども一気に飲み干したのだった。
私の、きっと人生の中で1度っきりだろう、こんな花見は、葉桜の季節を目の前にして、この日終わったのである。
そのとき詠んだ3首。
逝く人の 思い出語れば ハラハラと 桜花散り 仰ぎて瞑目
風に揺れ 風に舞い散る 桜花 ふと見上げれば 目に染む青空
桜花 舞い落ちてきて ゆらゆらと ビールの泡に 立ち泳いでる
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