ハンカチ王子の斉藤祐樹が2軍戦で炎上
■ ハンカチ王子
日ハムの斉藤祐樹といえば、ハンカチ王子。本人はそう呼ばれることを嫌っているそうですが、あの田中将大と戦った甲子園の夏の思い出は、今、もって鮮烈ですね。
私も、すり鉢状の熱気のたまる異次元の世界、甲子園で、田中と斉藤の試合に燃えた一人です。今となれば懐かしい思い出ですが・・・。
あれは2006年夏の甲子園。斉藤祐樹は早稲田実業のエースでした。
2回戦の大阪桐蔭高校戦で、プロ入り後にチームメイトとなる中田翔と対戦し、4打数無安打3三振に封じました。
同大会で、早実は26年ぶりに決勝戦に進出します。
8月20日の決勝戦では、田中将大を擁して、夏の甲子園大会で3連覇を目指す駒大苫小牧高校と戦います。
でも、試合は延長15回でも決着がつかず、1969年夏(第51回選手権大会)の松山商業高校対三沢高校戦以来37年振りの決勝引き分け再試合となりました。
翌日の再試合でも、斎藤は先発し、早実を初の夏の甲子園大会優勝に導いたのです。
斉藤は、この大会の全試合で先発し、2回戦から決勝再試合までただ1人で投げ抜きました。また、田中との投げ合いは甲子園大会の歴史に残るものとなりました。
この大会での投球回69、投球数948はどちらも一大会における記録としては史上1位。一大会における奪三振78は、1958年の板東英二(徳島商業高校)の83個に次いで歴代2位というものでした。
白いハンカチでそっと汗を拭うそのマウンド姿が、甘いルックスとあいまって、ハンカチ王子と呼ばれ、女学生やおばちゃんたちの間で絶大な人気を誇ったものです。
その斉藤祐樹は、早稲田実業、早稲田大学という野球界の名門を経て、勇躍、鳴り物入りで日ハムに入団。
活躍が期待されましたが、1軍ではさしたる功績も残せないまま、けがなどもあって、今や2軍暮らし。
今年、26歳で、同期の中田翔、大リーグに転進した田中将大、ダルビッッシュ有、広島の前田健なんかが同世代ですが、思えば知らない間に、彼らとは大きな懸隔ができてしまいました。
(動画:ハンカチ王子からの復活)
■ 今年の斉藤祐樹は
今季は、開幕から先発ローテーション入りして2試合に登板しましたが、0勝1敗、防御率7・36。
不調のため調整していた2軍では、12試合に登板し、防御率3・14と安定した投球を続け、3カ月後に1軍合流。ソフトバンク戦(札幌ドーム)に先発登板して、5回4安打1失点と好投しました。
勝利投手の権利を得ての降板でしたが、リリーフ陣が逆転を許して、12年6月6日の広島戦(札幌ドーム)以来766日ぶりとなる1軍での白星は逃してしまいました。
白星を逃した斎藤は「今日は自分の投球に集中して投げることができた。久し振りの1軍のマウンドだったが、自分ができることをやろうと思って投げた結果。ただ、5回までしか投げられなかったことは悔しい。次は長いイニングを投げて結果が残せれば」と話していたといいます。
これで、斉藤は、また1軍マウンドに立って投げる自信を得、首脳陣の期待も高まりました。
そこに、今回、二軍戦での炎上です。
イースタン・DeNA戦(鎌ケ谷)に先発。しかし、昨年まで同僚だった加藤の2発を含む3被弾を浴びるなど、4回2/3を11安打8失点。
一軍復帰登板が内定しているだけに、首脳陣の表情は曇ります。
その結果を知らされた栗山監督は「今日、全然ダメだったらしいね。まぁ、これだけ暑いんだし気にするのはやめよう」と困り顔。
すでに内定している31日の登板について「一軍で何度も投げている投手なので、大事なのは打たれていても球が走っていたのかどうか。その見極め」と語り、2軍からの報告を待っているとのことです。
しかし、予定通り昇格させるとしても、2軍でこれだけ炎上した投手をどういう理由をつけて、周囲のライバル投手を納得させるのか。特別扱いはチームの和を乱しかねません。
さて、どうするのか。31日は1軍で投げるのか。
首脳陣もそうですが、輝かしい戦歴を背負って戦う斉藤にも辛いものがあるでしょうね。
人事ながら、31日の先発を期待して、頑張れ、斉藤!とエールを送っておきましょう。
日ハムの斉藤祐樹といえば、ハンカチ王子。本人はそう呼ばれることを嫌っているそうですが、あの田中将大と戦った甲子園の夏の思い出は、今、もって鮮烈ですね。
私も、すり鉢状の熱気のたまる異次元の世界、甲子園で、田中と斉藤の試合に燃えた一人です。今となれば懐かしい思い出ですが・・・。
あれは2006年夏の甲子園。斉藤祐樹は早稲田実業のエースでした。
2回戦の大阪桐蔭高校戦で、プロ入り後にチームメイトとなる中田翔と対戦し、4打数無安打3三振に封じました。
同大会で、早実は26年ぶりに決勝戦に進出します。
8月20日の決勝戦では、田中将大を擁して、夏の甲子園大会で3連覇を目指す駒大苫小牧高校と戦います。
でも、試合は延長15回でも決着がつかず、1969年夏(第51回選手権大会)の松山商業高校対三沢高校戦以来37年振りの決勝引き分け再試合となりました。
翌日の再試合でも、斎藤は先発し、早実を初の夏の甲子園大会優勝に導いたのです。
斉藤は、この大会の全試合で先発し、2回戦から決勝再試合までただ1人で投げ抜きました。また、田中との投げ合いは甲子園大会の歴史に残るものとなりました。
この大会での投球回69、投球数948はどちらも一大会における記録としては史上1位。一大会における奪三振78は、1958年の板東英二(徳島商業高校)の83個に次いで歴代2位というものでした。
白いハンカチでそっと汗を拭うそのマウンド姿が、甘いルックスとあいまって、ハンカチ王子と呼ばれ、女学生やおばちゃんたちの間で絶大な人気を誇ったものです。
その斉藤祐樹は、早稲田実業、早稲田大学という野球界の名門を経て、勇躍、鳴り物入りで日ハムに入団。
活躍が期待されましたが、1軍ではさしたる功績も残せないまま、けがなどもあって、今や2軍暮らし。
今年、26歳で、同期の中田翔、大リーグに転進した田中将大、ダルビッッシュ有、広島の前田健なんかが同世代ですが、思えば知らない間に、彼らとは大きな懸隔ができてしまいました。
(動画:ハンカチ王子からの復活)
今季は、開幕から先発ローテーション入りして2試合に登板しましたが、0勝1敗、防御率7・36。
不調のため調整していた2軍では、12試合に登板し、防御率3・14と安定した投球を続け、3カ月後に1軍合流。ソフトバンク戦(札幌ドーム)に先発登板して、5回4安打1失点と好投しました。
勝利投手の権利を得ての降板でしたが、リリーフ陣が逆転を許して、12年6月6日の広島戦(札幌ドーム)以来766日ぶりとなる1軍での白星は逃してしまいました。
白星を逃した斎藤は「今日は自分の投球に集中して投げることができた。久し振りの1軍のマウンドだったが、自分ができることをやろうと思って投げた結果。ただ、5回までしか投げられなかったことは悔しい。次は長いイニングを投げて結果が残せれば」と話していたといいます。
これで、斉藤は、また1軍マウンドに立って投げる自信を得、首脳陣の期待も高まりました。
そこに、今回、二軍戦での炎上です。
イースタン・DeNA戦(鎌ケ谷)に先発。しかし、昨年まで同僚だった加藤の2発を含む3被弾を浴びるなど、4回2/3を11安打8失点。
一軍復帰登板が内定しているだけに、首脳陣の表情は曇ります。
その結果を知らされた栗山監督は「今日、全然ダメだったらしいね。まぁ、これだけ暑いんだし気にするのはやめよう」と困り顔。
すでに内定している31日の登板について「一軍で何度も投げている投手なので、大事なのは打たれていても球が走っていたのかどうか。その見極め」と語り、2軍からの報告を待っているとのことです。
しかし、予定通り昇格させるとしても、2軍でこれだけ炎上した投手をどういう理由をつけて、周囲のライバル投手を納得させるのか。特別扱いはチームの和を乱しかねません。
さて、どうするのか。31日は1軍で投げるのか。
首脳陣もそうですが、輝かしい戦歴を背負って戦う斉藤にも辛いものがあるでしょうね。
人事ながら、31日の先発を期待して、頑張れ、斉藤!とエールを送っておきましょう。
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